伏見宮貞行親王 (Imperial Prince Fushimi-no-miya Sadamochi)
伏見宮貞行親王(ふしみのみや さだもちしんのう、宝暦10年2月24日 (旧暦)(1760年4月9日) - 明和9年6月20日 (旧暦)(1772年7月20日))は、江戸時代の皇族。
伏見宮第17代。
桃園天皇の第二皇子。
母は、一条兼香の女、一条富子。
幼称は、二宮。
宝暦10年6月伏見宮邦忠親王の薨去に伴い、伏見宮を継承した。
宝暦13年(1763年)10月親王宣下を蒙る。
貞行と命名される。
明和9年(1772年)6月17日二品に叙せられるが、同20日薨去。
13歳。
法名、真浄明院。