倭姫命 (Yamatohime no Mikoto)
倭姫命(やまとひめのみこと)は、日本神話中の登場人物。
第11代垂仁天皇の第4皇女。
母は皇后日葉酢媛命。
またヤマトタケルの叔母とされる。
第10代崇神天皇の皇女豊鍬入姫命の後を継ぎ天照大神の「御杖代(みつえしろ、神の意を受ける依代)」として大和国から伊賀国・近江国・美濃国・尾張国の諸国を経て伊勢国の国に入り、神託により現在地に伊勢神宮を創建したとされる。
倭姫命が伊勢神宮を建立するまでに八咫鏡を順次奉納した場所は元伊勢と呼ばれる。
後に、蛮族の討伐に東へ向かう日本武尊に天叢雲剣を与えている。
倭姫命への神託
伊勢神宮を建立したときの天照大神から倭姫命への神託は、『日本書紀』垂仁天皇25年春3月丁亥朔丙申条では「是神風伊勢國 則常世之浪重浪歸國也 傍國可怜國也 欲居是國」、『倭姫命世記』では「是神風伊勢國 即常世之浪重浪皈國也 傍國可怜國也 欲居是國」であり、神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の波の敷浪の帰(よ)する国、方国(かたくに)の美まし国なり。この国におらんと欲(おも)ふ と伝えられている。
邪馬台国の卑弥呼
倭姫命は、『三国志』魏志倭人伝にでてくる邪馬台国の畿内説では「卑弥呼」とされることもある。
これは、倭姫命が神を祀る役目を負っていたことに由来する。
倭姫宮
伊勢神宮鎮座後も倭姫命を祭る神社は存在しなかったが、大正にはいり神宮司庁と地元伊勢市から倭姫命を祭る神社を創建する運動を生じ、1920年1月4日に皇大神宮別宮として倭姫宮の創立が許可、1922年11月5日内宮と外宮の中間である倉田山に鎮座した。
伊勢神宮を構成する神社と施設としては唯一近代以降の創立である。
宇治山田陵墓参考地
伊勢市倭町に倭姫命を埋葬したと伝えられる古墳があり、伝承に基づき、1928年10月宮内省より陵墓参考地に指定、現在宮内庁により宇治山田陵墓参考地として整備、管理されている。