八条宮長仁親王 (Imperial Prince Hachijo-no-miya Osahito)
八条宮長仁親王(はちじょうのみや おさひとしんのう、明暦元年5月14日 (旧暦)(1655年6月18日) - 延宝3年6月25日 (旧暦)(1675年8月16日))は、江戸時代前期の日本の皇族。
八条宮(桂宮)第4代。
後西天皇の第一皇子。
母は女御明子女王(高松宮好仁親王の王女)。
幼称は一宮、若宮、倉宮、又は阿茶麿(あちゃまろ)。
寛文5年(1665年)10月八条宮穏仁親王が継嗣となる王子のないまま薨去したため、親王の継嗣として翌寛文6年(1666年)宮家を相続した。
寛文9年(1669年)親王宣下を受け、長仁と命名される。
同年11月元服する。
中務省に任ぜられる。
延宝3年(1675年)6月25日薨去。
21歳。
法名は、霊照院。