冷泉院 (Reizeiin)
冷泉院(れいぜいいん)は、平安時代の天皇の譲位後の御所。
後述。
冷泉天皇の追号。
1に由来する。
『源氏物語』に登場する冷泉帝の譲位後の通称。
1に由来する。
冷泉院(れいぜいいん)は、平安時代の天皇の累代の後院(ごいん、譲位後の御所)の一つ。
大内裏の東に隣接し、左京二条二坊、大宮大路の東・二条大路の北4町を占めた(現在の二条城の北東部分に該当)。
多くの殿舎を備えた寝殿造であったという。
弘仁年間頃に離宮として成立、弘仁7年(816年)嵯峨天皇が行幸したことが記録上の初見である。
天皇は譲位後ここを後院として、承和 (日本)元年(834年)まで居住した。
嵯峨上皇没後はその皇后橘嘉智子の御所となり、その後も陽成天皇・冷泉天皇などが御所として居住した。
内裏の焼亡・修復の際の天皇の仮御所としても利用され、村上天皇・後冷泉天皇の里内裏にもなった。
なお始めの名称は「冷然院」であったが、たびたび火災による焼失と再建を繰り返したことから「然」の字が「燃」に通じ不吉であるとされて、天暦8年(954年)頃の再建の際に「冷泉院」に改称した。
天喜3年(1055年)に殿舎を取り壊して一条院へ移築、以後の消息はよく判っていない。
近年敷地跡である二条城内の発掘により、かつての冷泉院の庭園遺構が見つかっている。
略歴
弘仁7年(816年) 嵯峨天皇、冷然院へ行幸
天安 (日本)2年(858年) 文徳天皇、冷然院の新成殿で崩御
貞観 (日本)17年(875年) 最初の火災
元慶元年(880年) 再建
天暦3年(949年) 陽成上皇、冷然院で崩御。
二度目の火災
同8年(954年) 冷泉院へ改称
天禄元年(970年) 三度目の火災
天喜3年(1055年) 殿舎を一条院へ移築