大山守皇子 (Oyamamori no miko)

大山守皇子(おおやまもり の みこ、神功皇后摂政57年(257年)以前 - 応神天皇41年2月15日 (旧暦)(310年3月31日))は応神天皇の第一皇子。
母は高城入姫命。

応神天皇の崩御後、皇位を継ごうと企み、有力候補の菟道稚郎子・大鷦鷯皇子(後の仁徳天皇)らを殺害しようと数百の兵とともに挙兵するが、船で淀川を渡る際に、計画を察知した大鷦鷯皇子から話を聞いた菟道稚郎子が渡し守に紛し、船をわざと転覆させたため、水死した。

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