大田皇女 (Ota no himemiko (Imperial Princess Ota))
大田皇女(おおたのひめみこ、生年不詳 - 天智天皇6年(667年)2月 (旧暦)頃)は、飛鳥時代の皇族。
父は天智天皇で、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘・遠智娘。
同母妹に持統天皇、同母弟に建皇子がいる。
妹の野讚良皇女とともに天武天皇の妃となり、大来皇女、大津皇子を生むが、夫の即位を見ずに若くして死ぬ。
当時大伯皇女は7歳、大津皇子は5歳で、母方の祖父である天智天皇に引き取られたという。
祖母皇極天皇、叔母間人皇女(天智の妹、孝徳天皇皇后)とともに葬られた。
同母妹の野讚良皇女がのちに皇后となったことからみても、長生きしていれば天武の皇后となるはずの妃であった。
大津皇子にとってこの母を早くに亡くしたことは、皇后所生の草壁皇子との後の対立を含め、人生に大きな影響を与えたと思われる。