奨子内親王 (Imperial Princess Shoshi)
奨子内親王(しょうしないしんのう、弘安9年9月9日 (旧暦)(1286年9月28日) - 貞和4年/正平 (日本)3年11月2日 (旧暦)(1348年11月23日))は、鎌倉時代後期から室町時代初期(南北朝時代 (日本))にかけての皇族。
尊称皇后(非妻后の皇后)。
女院号は達智門院(たっちもんいん)。
系譜
後宇多天皇の第一皇女。
生母は参議五辻忠継の娘、典侍五辻忠子(談天門院)。
後二条天皇は異母兄、後醍醐天皇は同母弟にあたる。
略歴
乾元 (日本)元年(1302年)に内親王宣下を受け、徳治元年(1306年)、斎宮に卜定されるが、徳治3年(1308年)、異母兄後二条天皇崩御のため、群行には至らず退下した。
その後、文保2年(1318年)に同母弟の後醍醐天皇が即位すると、翌文保3年(1319年)3月に皇后(実際には天皇の后でない尊称皇后)に冊立される。
同年11月には院号宣下を受けるが、同時期に母談天門院が没したため、まもなく出家して法号を真理覚と称した。
元亨3年(1323年)には、紀伊国和佐荘の田地一町を荘内高社に寄進している。
貞和4年/正平3年(1348年)、63歳で崩御。