孝元天皇 (Emperor Kogen)
孝元天皇(こうげんてんのう、 孝霊天皇18年(紀元前273年)- 孝元天皇57年9月2日 (旧暦)(紀元前158年10月14日))は、『古事記』『日本書紀』に記される第8代の天皇(在位:孝元天皇元年1月14日 (旧暦)(紀元前214年2月21日) - 同57年9月2日 (旧暦)(紀元前158年10月14日))。
大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと)・大倭根子日子国玖琉命(古事記)。
「ヤマトネコ」という称号は7代孝霊・8代孝元・9代開化、少し離れて22代清寧の諸天皇(『古事記』)に見え、『記・紀』の編纂が最終段階に入った7世紀末から8世紀初めに存在した持統・文武・元明・元正の諸天皇(『日本書紀』・『続日本紀』)の称号にも見える。
このことは、7,8,9代の天皇の称号を、後世の『記・紀』編纂最終段階に存在した天皇の称号に似せて造作したという疑いが濃厚である。
いわゆる欠史八代の一人で、実在しない天皇と捉える見方が有力である.
しかし、稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣に、孝元天皇の第一皇子大彦命の実在を示す系譜が刻まれていたことから、孝元天皇自身も実在の人物とみなす見方も出てきている。
皇居
都は軽境原宮(かるのさかいはらのみや。奈良県橿原市見瀬町の牟佐坐神社が伝承地)。
事績
特に記録されていない。
孝霊天皇36年(紀元前255年)1月に立太子、同76年(紀元前215年)2月に孝霊天皇が崩御すると、翌年1月に即位した。
在位57年で崩御。『古事記』に57歳、『日本書紀』に116歳。
陵墓
剣池嶋上陵(つるぎのいけのしまのうえのみささぎ)に葬られたという。
同陵は奈良県橿原市石川町の中山塚1~3号墳(古墳古墳の形式一覧2基、前方後円墳1基)に比定される。