宣陽門院 (Senyomonin)
宣陽門院(せんようもんいん、養和元年10月5日 (旧暦)(1181年11月13日) - 建長4年6月8日 (旧暦)(1252年7月15日))は、平安時代後期の皇族、女院。
後白河天皇の第六皇女で、名は覲子内親王。
母親は高階栄子(丹後の局)。
1189年に内親王の宣下を受け、1191年には11歳で院号宣下を受けた。
1205年に出家、法名を性円智と称し、1252年72歳で没した。
父後白河院から送られた広大な所領は長講堂領と称された。
承久の乱の折、幕府に没収された時期もあったが、後に返還され、1251年後深草天皇に譲与された。