宮中三殿 (Kyuchu sanden (the Three Shrines in the Imperial Court))
宮中三殿(きゅうちゅうさんでん)は、皇居にある賢所(かしこどころ、けんしょ)、皇霊殿(こうれいでん)、神殿(しんでん)という三つの神殿の総称。
吹上御苑の東南に位置する。
一年を通して、掌典職と呼ばれる天皇の私的使用人集団に属する掌典と呼ばれる神職と、内掌典と呼ばれる女性(巫女)が清め護っている。
毎朝、午前8時から、清酒、赤飯などを供える日供の儀(にっくのぎ)を、賢所、皇霊殿には内掌典が、神殿には掌典がそれぞれ奉仕する。
午前8時30分に宮内庁侍従職の当直侍従が、また天皇が行幸及び外国旅行に際して不在でも居残り役の侍従が毎朝御代拝(まいちょうごだいはい)として、賢所、皇霊殿、神殿を天皇に代わって拝礼する行事を行っている。
日供の儀及び毎朝御代拝は、廃朝や宮中喪が発せられているときにおいても欠かさずに行われている。
四方拝、新嘗祭は宮中三殿の近くにある神嘉殿で、鎮魂祭は宮中三殿近くの綾綺殿で執り行われる。
宮中三殿の改修工事の間、「ご神体」は仮殿にそれぞれ「移御」されていた。
賢所
皇祖神天照大神を祀る。
その御霊代である神鏡(八咫鏡の複製とされる)が奉斎されている。
神鏡そのものを指すこともある。
古代より宮中で祭祀されてきた。
京都にあった頃は「内侍所」と呼ばれていた。
掌典及び内掌典が御用を奉り、「忌火」(「神聖な火」の意味)が点され、掌典及び内掌典はそれを護り続けているといわれる。
平安時代においては温明殿(うんめいでん)、鎌倉時代以後は春興殿にあった。
いにしえから続くとされる宮中祭祀が執り行われ、皇后美智子、徳仁親王妃雅子をはじめとする皇族の妃らを宮中に迎え入れる結婚の儀もここで執り行われた。
この場合、男性皇族の結婚は賢所を出たときに成立したとみなされている。
神聖な場所とされるが故に、たいへん穢れを嫌い、例えば「次清」の別などの厳格な規律が存在するとされる。
皇霊殿
歴代天皇および皇族の霊を祀る。
明治に再興された神祇官は附属の神殿を創建し、併せて歴代天皇の霊をも祀った。
またこれに伴って、平安時代より宮中にある歴代天皇を仏式で祀る「黒戸」は廃止された。
神祇官が神祇省に降格するに伴い、1871年(明治4年)9月に宮中に遷座し、賢所と共に「皇廟」と呼ばれた。
1878年(明治11年)には皇妃や皇族の霊が合祀された。
天皇・皇族の霊は、その死後1年をもって皇霊殿に合祀される。
毎年、春分の日と秋分の日には春季、秋季の皇霊祭が行われている。
神殿
天津神国津神を祀る。
明治に再興された神祇官(のち神祇省)は附属の神殿を創建し、天神地祇および古代の律令制での神祇官の八神殿で祀られた八神を祀った。
明治5年、神祇省の祭祀は宮中に移されることになり、八神殿は宮中に遷座し、八神を天神地祇に合祀して神殿と改称した。