尭胤法親王 (Monk-Imperial Prince Gyoin)
尭胤法親王(ぎょういんほっしんのう、長禄2年(1458年) - 永正17年(1520年))は、室町時代中期から戦国時代にかけての法親王。
父は伏見宮貞成親王の子伏見宮貞常親王。
1468年(応仁2年)京都三千院で出家した。
後花園天皇の猶子となって1471年(文明 (日本)3年)親王宣下を受ける。
1493年(明応2年)天台座主に就任し、焼失した比叡山根本中堂の再建に尽力した。
尭胤法親王(ぎょういんほっしんのう、長禄2年(1458年) - 永正17年(1520年))は、室町時代中期から戦国時代にかけての法親王。
父は伏見宮貞成親王の子伏見宮貞常親王。
1468年(応仁2年)京都三千院で出家した。
後花園天皇の猶子となって1471年(文明 (日本)3年)親王宣下を受ける。
1493年(明応2年)天台座主に就任し、焼失した比叡山根本中堂の再建に尽力した。