息長真手王 (Prince Okinaga no Mate)
息長真手王(おきながのまてのおおきみ、生没年不詳)は5世紀から6世紀頃の日本の皇族。
王女に麻績郎女・広姫。
麻績郎女は継体天皇の妃として荳角皇女を産んだ。
広姫は敏達天皇の皇后として押坂彦人大兄皇子・逆登皇女・菟道磯津貝皇女を産んだ。
王女2人が天皇の妃となった以外、さしたる事蹟の記述はない。
意富富杼王の弟にあたる息長沙禰王の子であるとの文献もある。
広姫は敏達天皇5年(575年)正月に立后したものの、同年11月に崩御した。
その翌年の正月には額田部皇女(後の推古天皇)が皇后に立てられた。
広姫の御陵は近江国坂田郡(滋賀県米原市)にある。
それは、息長御陵と称されて、宮内庁の管理下にある。
娘の一人が「継体天皇」に嫁ぎ、もう一人の娘が「敏達天皇」の皇后・広姫であるという。
が、記紀などによって「継体」の生年は西暦450年、一方「敏達」の生年は西暦538年である。
娘が二人の大王に輿入れしたとは到底考えられない。
伝承が混乱しているのか、或いは記紀の編集者が意図的に系図に手を加えた可能性が強い。