文室浄三 (FUNYA no Kiyomi)
文室 浄三(ふんや の きよみ、持統天皇7年(693年)- 宝亀元年10月9日 (旧暦)(770年10月31日))は、奈良時代の皇親(後に臣籍降下)。
父は天武天皇の皇子長皇子。
初名は智努王(ちぬおう)。
兄弟に文室大市等がいる。
717年(養老元年)従四位下に叙され、造宮省などを歴任。
752年(天平勝宝4年)文室氏の姓を賜って臣籍に下り、761年(天平宝字5年)頃浄三と名を改めた。
757年(天平宝字元年)参議となり、中納言を経て762年(天平宝字6年)御史大夫(=大納言)に昇任した。
764年(天平宝字8年)には職を辞している。
770年(宝亀元年)の称徳天皇の崩御後、吉備真備に次期天皇に推されたが、浄三はこれを辞退したという。
その約2ヵ月後に当人も薨去。
享年78。