法仁法親王 (Monk-Imperial Prince Honin)
法仁法親王(ほうにんほっしんのう、正中2年(1325年) - 文和元年/正平7年10月25日(1352年12月2日))は、南北朝時代の法親王。
父は後醍醐天皇。
母は権大納言三位局道子。
俗名は躬良。
1334年(建武元年)親王宣下を受け、1338年(暦応元年/延元3年)仁和寺大聖院で出家し、法守法親王から灌頂を受けた。
翌1339年(暦応2年/延元4年)二品に叙せられ、六勝寺検校に就任した。
法仁法親王(ほうにんほっしんのう、正中2年(1325年) - 文和元年/正平7年10月25日(1352年12月2日))は、南北朝時代の法親王。
父は後醍醐天皇。
母は権大納言三位局道子。
俗名は躬良。
1334年(建武元年)親王宣下を受け、1338年(暦応元年/延元3年)仁和寺大聖院で出家し、法守法親王から灌頂を受けた。
翌1339年(暦応2年/延元4年)二品に叙せられ、六勝寺検校に就任した。