狭穂彦王 (Sahohiko no miko)
狭穂彦王(さほひこのみこ、生年不詳 - 垂仁天皇5年(紀元前24年)10月没)とは、記紀における皇族(王族)。
『日本書紀』では狭穂彦王、『古事記』では沙本毘古王。
彦坐王の子で、開化天皇の孫に当たる。
日下部連・甲斐国造の祖。
母は春日建国勝戸売の娘、沙本之大闇見戸売(さほのおおくらみとめ)。
同母の兄弟に葛野別・近淡海蚊野別の祖袁邪本王、若狭耳別の祖室毘古王、垂仁天皇皇后狭穂姫命がいる。
垂仁天皇5年に妹の狭穂姫命に天皇暗殺を試みさせるが失敗。
叛乱を興すものの、追い詰められ兄妹ともに稲城の中で自殺する。
この「狭穂姫命狭穂毘古の叛乱」は、『古事記』における最も物語性の高い記述とされる。