磐撞別命 (Iwatsukuwake no Mikoto)
磐撞別命(いわつくわけのみこと、生没年不詳)は、記紀などに伝える古墳時代初期の皇族(王族)。
磐衝別命、磐撞別皇子、石衝別王・伊波都久和気とも。
第11代垂仁天皇の第10皇子、母は山背大国不遅の娘・綺戸辺(かむはたとべ、弟苅羽田刀弁)。
同母妹に両道入姫命(ふたじいりひめのみこと、石衝毘売命。仲哀天皇の母)がいる。
子に磐城別命(石城別王・伊波智和気)がおり、羽咋君、三尾君の祖とされる。
「上宮記」逸文によれば、その5世孫の振媛命は彦主人王に嫁ぎ、継体天皇を生んだ。
『先代旧事本紀』「天皇本紀」では丹波道主王の娘・真砥野媛と垂仁天皇の間に生まれ、稲別命と兄弟とされ、また「国造本紀」では羽咋国造・加我国造の祖とされる。
命の子孫は高島郡高島村(滋賀県高島市拝戸)に住み、同地に水尾神社(延喜式内社・県社)を創建して磐撞別命を祀った。
水尾神社境内には磐衝別命墓があり、大正6年宮内省により陵墓に指定された。
水尾神社によると命は猿田彦命の天成神道を学ぶ為に同地に訪れ、同地で薨去した。
王子の磐城別王が三尾山に命を葬り水尾神社を創建したという。
他に石川県羽咋市川原町の県社羽咋神社(延喜式内社)にも祀られている。
羽咋市の無形文化財に指定されている唐戸山神事相撲は同地で仁政を敷いた命を偲んで命日である9月25日に相撲を行った事に由来するという。
また、羽咋の地名の由来は磐衝別命の故事によるという。
命はこの地で領民を苦しめた悪鳥を射落とし、その鳥の羽を命が連れていた三匹の犬が喰ったといい、古くは「羽喰」と称したという。
但し、一説には大国主命の故事によるともいう。
子孫の振媛命は越前国(福井県)の出であるが、その福井県坂井市・大湊神社の古い記録によると嘗ては同神社に磐撞別命も祭神として祀っていたという。