神八井耳命 (Kamuyaimimi no Mikoto)

神八井耳命(かむやいみみのみこと、? - 綏靖天皇4年(紀元前578年)4月)は、『古事記』『日本書紀』等に記される日本の皇族(王族)。
神武天皇の皇子で、母は媛蹈鞴五十鈴媛命。
同母兄弟に日子八井命(『新撰姓氏録』には子)・綏靖天皇がいる。

父の神武天皇が崩じた後、朝政の経験に長けていた庶兄の手研耳命(たぎしみみのみこと)は皇位に就こうとした。
そのために、弟たちを害そうとした。
この陰謀を神渟名川耳尊(後の綏靖)・神八井耳命は母后の歌から察知した。
彼らは片丘(奈良県北葛城郡王寺町)の大窖にいる手研耳を襲い、これを討った。
この際、神八井耳は恐怖で手足が震えおののいて矢を放てなかった。
代わりに神渟名川耳が射て殺したという。
神八井耳はこの失態を深く恥じ、弟が天皇として即位するに及び、これを助けて天神地祇を掌ることとなった。
3年後に薨じた。
畝傍山の北墓に葬られたと伝えられる。
現在、奈良県橿原市山本町の八幡神社(古く八井神社と呼ばれた)はその伝説地とされる。

『古事記』・『新撰姓氏録』・『先代旧事本紀』・『阿蘇氏系図』によれば、神八井耳命の子孫は繁多に分かれ、多氏(太安万侶の一族)・小子部氏・坂合部氏・火君・大分氏・雀部氏・小長谷氏・伊予国造・金刺氏・石城国造・丹羽氏・茨田連等がいた。

現在、多氏の氏神社である多坐弥志理都比古神社(奈良県磯城郡田原本町)に祀られる。
その他、伊達神社 (和歌山市)(和歌山県和歌山市)・嶋田神社(奈良県奈良市)等の式内社にも祀られる。
なお、「神」が「醸む(かむ)」に通じることから、酒好きな神として祀る神社もある。

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