神櫛王 (Kamukushi no Miko)
神櫛王(かむくしのみこ・かみくしのみこ、生没年不詳)は、『古事記』『日本書紀』に記される日本の皇族(王族)。
神櫛皇子・神櫛別命・五十香彦命(いかひこのみこと)とも。
第12代景行天皇の第17皇子。
『書紀』によれば、母は五十河媛(いかわひめ)で、同母弟に稲背入彦皇子(いなせいりひこのみこ)がいたとするが、『古事記』では、母を播磨稲日大郎姫(播磨稲日大郎姫)とし、兄に櫛角別王・大碓命・ヤマトタケル(日本武尊)・倭根子命がいたとする。
また、讃岐国国造(讃岐公)・紀伊国の酒部阿比古(さかべのあびこ)・宇陀酒部・酒部公の祖で、国造族の子孫は寒川・植田・高松・神内・三谷・十河などの氏を名乗ったという。
王墓は香川県高松市牟礼町牟礼にあり、宮内庁の管理下にある。
また、同市由良町の清水神社・同県仲多度郡琴平町の式内社櫛梨神社に祀られている。
なお、香川県に伝わる讃留霊王(さるれお)伝説によれば、景行天皇23年(93年)に讃留霊王が勅命を受け、瀬戸内の悪魚退治のために讃岐入りし、その地に留まって、仲哀天皇8年9月15日 (旧暦)(199年10月21日)に125歳で薨去したという。
この讃留霊王について、東讃では神櫛王のこととし(櫛梨神社社伝も同様)。
西讃では武卵王(たけかいごのみこ。日本武尊の子)のこととしている。