良岑良松 (YOSHIMINE no Nagamatsu)
良岑 良松(よしみね の ながまつ、弘仁4年(813年) - 元慶3年11月10日 (旧暦)(879年12月26日))は平安時代の官人。
大納言良岑安世の子。
承和 (日本)年代に常陸国権大掾、伊予国掾を歴任。
承和5年(838年)、遣唐使准判官として渡唐。
翌年の帰国時に嵐に遭い、南海に漂流し、同乗者の多くが命を落とした。
帰国直後、従五位下に授位され、その後従五位上侍従に任ぜられる。
後に正五位下丹波国介、従四位下縫殿寮頭、従四位上宮内省大輔、諸陵寮頭の他武蔵国、大和国、山城国国司を歴任する。
元慶3年(879年)に散位で死亡。
琴の名手で、遣唐使に選ばれたのもそのためという。
『日本三代実録』の死亡記事には「他に才能無し」と記されており、凡庸な人物であったようだ。