藤原忻子 (FUJIWARA no Kinshi)
藤原 忻子(ふじわら の きんし(よしこ)、長承3年(1134年) - 承元3年8月12日 (旧暦)(1209年9月12日))は平安時代末期の后妃。
第77代後白河天皇中宮。
父は徳大寺公能で、母は藤原豪子。
妹に近衛天皇皇后(のち二条天皇后)藤原多子がいる。
久寿2年(1155年)入内、後白河天皇即位と共に従四位女御となる。
保元元年(1156年)中宮に冊立。
同3年(1158年)夫後白河天皇譲位。
平治元年(1159年)しゅ子内親王が二条天皇中宮に立后したのに伴い皇后宮。
承安 (日本)2年(1172年)皇太后。
承元3年(1209年)76歳で崩御。
『今鏡』は美貌であったと伝えるが、後白河天皇の寵愛は薄く子女もなかった。