藤原苡子 (FUJIWARA no Ishi)

藤原 苡子(ふじわら の いし、承保3年(1076年) - 康和5年1月25日 (旧暦)(1103年3月5日))は平安時代後期の皇妃。
第73代堀河天皇女御、第74代鳥羽天皇生母。
父は大納言藤原実季、母は藤原睦子(藤原経平女)。
同母兄に藤原公実がいる。

承徳2年(1098年)堀河天皇に入内、女御の宣旨を受ける。
康和2年(1100年)従四位下。

康和5年(1103年)第一皇子宗仁親王(鳥羽天皇)を出産するが、難産のため死去。
同年従二位を追贈。
嘉承2年(1108年)鳥羽天皇の即位で皇太后を追贈。

苡子は白河天皇の従姉妹(院の生母藤原茂子の姪)であった。
入内に当たっては院自ら世話をしたという。
中宮篤子内親王は高齢で子女に恵まれなかった。
そのため苡子は皇子出産の期待をかけられた。
めでたく宗仁親王を産んだが、産後の肥立ちが悪く28歳の若さで亡くなった。
しかし苡子の兄公実は鳥羽天皇の外戚に、また姪の藤原璋子は鳥羽天皇の中宮となった。
こうして閑院流発展の元となった。

[English Translation]