軽大娘皇女 (Karu no Oiratsume)
軽大娘皇女(かるのおおいらつめ)は第19代天皇であった允恭天皇の皇女であった。
母は皇后の忍坂大中姫(おしさかのおおなかつのひめのみこと)。
古事記によれば大変に美しい女性であったため、その美しさが衣を通してあらわれるようだ、という意味を込めて衣通姫(そとおりひめ)と呼ばれた。
同母兄であった木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)と情を通じた。
それが原因となって允恭天皇が崩御した後に木梨軽皇子は失脚、伊予へ流刑となる。
軽大娘皇女はその後を追い、伊予の国で二人は自害して果てる。
(衣通姫伝説)
日本書紀においては二人の仲が発覚した直後の允恭24年に軽大娘皇女本人が伊予へ流されている。