開化天皇 (Emperor Kaika)
開化天皇(かいかてんのう、孝元天皇7年(紀元前208年)- 開化天皇60年4月9日 (旧暦)(紀元前98年5月23日))は、『古事記』『日本書紀』に記される第9代の天皇(在位:孝元天皇57年(紀元前158年)11月12日 (旧暦) - 開化天皇60年(紀元前98年)4月9日 (旧暦))。
稚日本根子彦大日日尊(わかやまとねこひこおおびびのみこと)・若倭根子日子大毘々命(古事記)。
「ヤマトネコ」という称号は7代孝霊・8代清寧・9代開化、少し離れて22代清寧の諸天皇(『古事記』)にみえ、『記・紀』の編纂が最終段階に入った7世紀末から8世紀初めに存在した持統・文武・元明・元正の諸天皇(『日本書紀』・『続日本紀』)の称号にもみえる。
このことは、7,8,9代の天皇の称号を、後世の『記・紀』編纂最終段階に存在した天皇の称号に似せて造作したのではないかという疑義が提出されている。
いわゆる欠史八代の一人であるが、実在説もある。
皇居
都は春日率川宮(かすがのいざかわのみや。奈良県奈良市本子守町の率川神社が伝承地)。
『古事記』には「春日之伊邪河宮」とある。
事績
記載が豊富な崇神天皇の即位前の時期も含めて特に記録されていない。
孝元天皇22年(紀元前193年)正月に立太子、孝元天皇57年(紀元前158年)11月に即位。
在位60年で崩御。
『古事記』に63歳、『日本書紀』に115歳(111歳?)。
陵墓
春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)に葬られた。
古事記には「伊邪河之坂上」と記す。
奈良県奈良市油阪町の念仏寺山古墳(前方後円墳・全長約100m)に比定される。