阿雅皇女 (Aga no himemiko (Princess Aga))
阿雅皇女(あがのひめみこ、648年以降~709年?)は、天智天皇の皇女。
母は伊賀采女宅子娘。
『日本書紀』には名が見えず、「伊賀国名所記」に弘文天皇の同母妹と書かれているが真偽は不明。
そのため、架空人物説も出ている。
日本書紀通證に以下のようにあるが未詳。
「引二信西國分一曰。」
「宅子媛ハ伊賀國山田郡郡司之女也。」
「此腹生二三子一。」
「其一曰二大友皇子一。」
「其二曰二阿閇皇子一。」
「其三曰二阿雅(【振假名】アガ)皇女一。」
「今按、此紀唯一皇子。」
「蓋脱文也。」
「伊賀風土紀曰。」
「阿拜(【振假名】アヘ)郡阿閇山。」
「倭名抄ニ伊賀郡阿我。」
「伊賀史曰。」
「元明天皇御宇和銅己酉五月二十六日、安雅皇女薨二杉坂駅一。」
「六月二十六日薨二于伊賀國一。」
「賜二封田一如レ例。」