吉田家 (OK)
吉田家(よしだけ)は卜部氏の流れを汲む堂上家である。
ここで記述する。
吉田家(よしだけ)は藤原北家勧修寺流の公家。
初代関東申次吉田経房や後の三房の一人吉田定房を輩出した。
後に嫡流は甘露寺藤長(定房の甥)の代に甘露寺家と改称。
庶家に中御門家・坊城家・万里小路家・勧修寺家・穂波家・岡崎家・芝山家・清閑寺家などがある。
詳細については甘露寺家を参照のこと。
吉田家(よしだや)は佐賀県唐津市(旧浜玉町)に実在した牛丼屋。
元々はなわのヒット曲「佐賀県」に登場する「吉野家」をもじったフィクションであった。
が、2005年7月1日、はなわプロデュースにより本当にオープンした。
2006年9月25日をもって閉店した。
吉田屋については、吉田屋を参照。
吉田家(よしだけ)は卜部氏の流れを汲む堂上家である。
吉田家の祖吉田兼煕は、室町にある自宅の敷地を足利義満に譲り、吉田神社の祠官であることに因み、家名を吉田とする。
吉田兼煕は神祇官、侍従を務め、正三位に昇った。
堂上家の仲間入りを果たす。
更に吉田兼倶(従二位・神祇官)(1435年 - 1511年)は唯一神道(吉田神道)を足利将軍家及び公家に広めた。
神祇管領長上を自称し、これ以降は神祇官・白川家を押しのけ神社支配を強めていくこととなる。
そして神職における吉田家の優位は江戸時代になって寛文5年諸社禰宜神主法度の制定で確定する。
江戸時代前期に、吉田家から萩原家が分かれ出た。
家格は半家_(公家)、歴代当主は神祇管領長上を称し、正二位・神祇官を極官とした。
江戸時代の家禄は760石。
明治時代以降は子爵。