桜井家 (Sakurai Family)
桜井家(さくらいけ)は、羽林家の家格を有する公家。
藤原北家水無瀬家。
江戸時代の家禄は蔵米30俵3人扶持。
明治維新後、子爵。
江戸時代に水無瀬兼俊の子・桜井兼里によって設立された。
極官は近衛府。
江戸時代中期の桜井氏福が竹内式部に師事していたために宝暦事件に連座した。
この時家名断絶の危機に陥るが、実弟の桜井供敦を養子として家督を継ぐ事が許された。
明治維新に氏福の罪が許されて正四位が追贈され、1884年7月8日桜井供義に子爵の位を授けられた。