清華家 (Seiga Family)

清華家(せいがけ)とは、公家・公卿の家格のひとつで、大臣家の上で摂家に次ぐ家格。
近衛大将・大臣を兼任し、最高は太政大臣まで昇進できる家(ただし、江戸時代には太政大臣の就任要件として摂政・関白経験者に限られたために、清華家は左大臣が事実上の極官となる)。
英雄家ともいう。
摂家とこの清華家の子弟は、公達(きんだち)と呼ばれた。
明治時代以前は、華族というと、この家柄のことを指していた。
明治の華族令によって、原則的には侯爵に叙されることになったが、維新の功績によって三条家は公爵とされ、また一旦侯爵とされた西園寺家と徳大寺家も後に公爵に陞爵した。

清華家は最終的に以下の9家。
なお、藤原北家閑院流の洞院家も、鎌倉~室町期に上記清華家と同等に太政大臣をたびたび輩出しているが、戦国時代の初めに断絶しているため、江戸時代に確立した清華家等の公家の家格に該当するものがない。

七家
久我家
村上天皇の第八皇子具平親王の男右大臣源師房(1008年 - 1077年)を祖とする村上源氏の嫡流。
師房は御堂関白藤原道長の女婿(師房の妻は道長の娘尊子)、またその嫡男藤原頼通の養子となり、その子孫も摂関家と深い姻戚関係を築いた。
師房の五世孫内大臣源通親(1149年 - 1202年)は高階栄子と組んで時の関白九条兼実を追い落とし、「源博陸」とあだ名されるほどの権勢家であった。
久我家嫡流は長く源氏長者や淳和院・奨学院両院別当を兼任したが、室町時代、武家源氏の将軍足利義満にその地位を奪われた。
「久我家」の名称は、京都西南、山城国愛宕郡久我の地に別業「久我水閣」があったことが由来。

分家の公家諸家としては、大臣家の中院家、および羽林家の六条家・岩倉家・千種家・東久世家・久世家・梅渓家・愛宕家・植松家の九家がある。

家業:笛、江戸時代の家禄:700石、家紋:五つ竜胆車。

三条家(転法輪三条家)
藤原北家閑院流(太政大臣藤原公季の子孫)。
大納言藤原公実の長男太政大臣三条実行(1080年 - 1162年)が初代。
この家から分かれた大臣家の正親町三条家(嵯峨実愛の時に「嵯峨」と改称)と区別するために転法輪を冠して呼ぶことが多い。

庶流は大臣家の正親町三条家・三条西家を始め、羽林家の滋野井家・姉小路家等多数。

家業:笛・装束。
江戸時代の家禄:469石、家紋:唐菱花。

西園寺家
藤原北家閑院流。
同じく公実の次男中納言西園寺通季(1090年 - 1128年)を祖とする。
通季は母藤原光子が正妻だったため嫡子とされたが、早世したために兄弟の中でも官位が最も低かった。
四代目の太政大臣西園寺公経(1171年 - 1244年)に至って、親幕派として承久の乱後権勢を誇り、摂関家から外戚の地位と関東申次の世襲職を奪った。
公経は京洛北山に氏寺西園寺を建立して、家名の由来となった。

庶流に洞院家(断絶)・今出川家(菊亭家)、羽林家の清水谷家・四辻家・橋本家・大宮家等あり。

家業:琵琶。
江戸時代の家禄:597石、家紋:左三つ巴。

徳大寺家
藤原北家閑院流。
公実三男左大臣徳大寺実能(1096年 - 1157年)を始祖とする。
実能の嫡孫、左大臣徳大寺実定(1139年 - 1191年)は藤原俊成の妹が生んだ子で藤原定家の従兄にあたり、自らも優れた歌人である。
この家は鳥羽天皇・後白河天皇院政期の後宮をほぼ独占したが、鎌倉時代以後やや衰えた。
西園寺家と同族意識が強く、たとえば明治時代の西園寺公望は徳大寺家に生まれ西園寺家に入嗣。

家業:笛、江戸時代の家禄:約410石、家紋:木瓜花菱浮線綾。

花山院家
藤原北家師実流(花山院流)。
摂政太政大臣藤原師実の次子右大臣花山院家忠(1062年 - 1136年)より始まる。
家忠が花山天皇の御所だった東一条院(花山院)を伝領したためこの家名がある。
三代花山院忠雅(1124年 - 1193年)は朝政に明るかった上に、平清盛と親戚関係にあったことから、太政大臣という異例の昇進を遂げた。
諸流に羽林家の中山家・野宮家・今城家がある。

家業:笙と筆道、江戸時代の家禄:約750石、家紋:杜若菱。

大炊御門家
藤原北家師実流(花山院流)。
花山院家と同じく摂政師実の子大炊御門経実(1068年 - 1131年)が初代。
大炊御門北、万里小路東に邸宅があった。
経実は権大納言どまりであったが、その子大炊御門経宗(1119年 - 1189年)は二条天皇の外舅として勢威をふるい、左大臣に昇って清華家の家格を確保した(経宗は閑院流公実の女公子を母とする)。

家業:筆道・和歌・和琴・笛・装束、江戸時代の家禄:約400石、家紋:菱に片喰草。

菊亭家(菊亭家)
藤原北家閑院流、西園寺家の庶流。
鎌倉期の太政大臣西園寺実兼の子左大臣今出川兼季が分家し、今出川殿を居所としたため、菊亭・今出川を名乗る。
維新後は今出川を改め、別称の菊亭を名字とした。

家業:琵琶。
江戸時代の家禄:約1355石、家紋:三つ楓。

九清華
(上の7家に下記の二つの新家を加えたもの)
醍醐家
藤原北家摂関流。
江戸時代に五摂家の一条家から分かれた家。
摂政一条昭良の次男権大納言醍醐冬基(1648年 - 1697年)が初代。

禄高:約312石、家紋:下り藤。

広幡家
正親町源氏。
正親町天皇の皇孫八条宮智仁親王の男子、広幡忠幸(1623年 - 1669年)が臣籍降下して創立。
忠幸は最初、尾張藩に赴き武家となったが、のち帰洛して大納言に進んだ。

禄高:約500石、家紋:十六葉裏菊。

[English Translation]