持明院家 (Jimyoin Family)
持明院家(じみょういんけ)は、日本の氏族(公家)。
藤原北家藤原頼宗流(中御門流)。
家格は羽林家。
家業は書道・神楽・鷹匠。
家紋は杏葉。
藤原基頼(頼宗の孫)を始祖として平安時代末期に成立した。
基頼は邸内の持仏堂を持明院と名付け、後世これが家名となった。
持明院基家の娘持明院陳子(北白河院)は後高倉院の妃となり後堀河天皇を出産し、持明院は後高倉院・後堀河の仙洞御所となった。
その後、後深草天皇とその子孫の仙洞御所になったため、この系統の天皇家を持明院統と呼ぶようになった。
戦国時代 (日本)に世尊寺家(能書で名高い)が断絶し、世尊寺行高の門人だった持明院基春が朝廷の書役を務め、以後書道の家として入木道伝授の宗家(持明院流)となる。
また神楽・鷹匠をも家業とした。
慶長20年(1615年)に持明院基久が豊臣秀頼方に従い大坂の役で没したため、家系は断絶の危機にさらされたが、遠縁の持明院基定(徳川氏の家臣大沢基宿の子)が相続した。
江戸時代の家禄は200石。
明治17年に持明院基哲が子爵となった。
基頼の子園基氏は園家の祖となる。
基定の子高野保春は高野家の祖となった。
また堂上庶流は他に石野家・東園家・壬生家・石山家・六角家がある。
また、源頼朝の縁戚として朝廷にも影響力を有した一条家 (中御門流)(のち断絶)及び江戸幕府高家の大沢氏も持明院家の系統である。