新家 (Shinke (new family))
新家(しんけ)
公家の格式の一つ。
本項にて解説。
1884年の華族令によって、華族になる資格を得て成立した家の事。
旧大名・旧公家を除いた家々の事であり、特に明治維新で活躍した元勲の家とその後の国家への功労によって華族に加えられた家を指す。
新家(しんけ)とは公家の家格の一つ。
文禄・慶長年間以後に成立した家々(ほぼ江戸時代のそれと重なる)を指す。
これに対してそれ以前からの家を旧家と呼ぶ。
137家あるとされる堂上家の中で68家(ただし、後述の広幡家・醍醐家を新家に含めるかどうかについては議論の余地がある)が新家に相当する。
新家のほとんどが豊臣政権末期からの100年間、ほぼ後に17世紀と呼ばれる時期に設立されている。
江戸幕府は戦国時代_(日本)の戦乱で衰退した朝廷に対しては、禁中並公家諸法度などで統制する一方、朝廷自体の衰亡は征夷大将軍があくまでも朝廷に任命されている以上、望ましい状況ではなかった。
また、朝廷統制の必要上、朝廷権力を摂関家に独占させるような体制作りをしたために、そこから排除された公家達から「反幕府感情」が生み出される危惧もあった。
そこで本来ならば口減らしのために出家させるのが通例だった公家の嫡男以外の男子に家禄を授けて新しい家を興させ、こうした公家の不満をそらす一方で公家の減少を防いで朝廷運用に必要な最低限の人員を確保しようとする意図があった。
南北朝~室町時代に断絶した家も多く、その家名の復活も図られた。
新家のほとんどが羽林家・名家 (公家)・半家 (公家)に属しており、公卿に昇進しても非参議に終わるケースが殆どであった。
ただし、八条宮家から臣籍降下した広幡家(正親町源氏)と一条家(摂関家)から分家した醍醐家は、摂関家に次ぐ清華家に加えられて後には左大臣にまで昇進した者もおり、他の新家との待遇の差は歴然としていた。
このため、この両家を新家として一括りにしてもいいのかについては疑問視する説もある。
一方、地下人の場合も新たに官位を授けられた者やその家のことを新家と呼んだ。
一般に実務官僚たる地下は堂上よりも出入りが頻繁で、特に医療に関する専門知識や特殊技能が求められた典薬寮では、在野の医師が新たに官位を与えられて新家として地下家になる例が他の官職より多かったようである。