五條市 (Gojo City)

五條市(ごじょうし)は、奈良県の中西部に位置する市。
南和地域の中心都市。

地理

吉野川(和歌山県では紀の川)流域に位置し、大和国と紀伊国を結ぶ交通の要衝として、また吉野山地への入口として古来より重視されてきた。

吉野川が市の中央を分断するように西流している。
金剛山 (金剛山地)と吉野連山に囲まれており、市街から少し離れると急坂が多くなる。

隣接する自治体

奈良県
- 御所市、吉野郡大淀町、下市町、天川村、黒滝村、野迫川村、十津川村、上北山村
大阪府
- 河内長野市、南河内郡千早赤阪村
和歌山県
- 橋本市、伊都郡高野町

地名表記 「五條」か「五条」か

市役所が「五條」を名乗る一方、JR和歌山線の鉄道駅名は五条駅 (奈良県)と表記されている。
こうした中で2002年7月1日、市内で局名に「ごじょう」の付く郵便局5局の表記が一斉に「五条→五條」と改訂された(五條郵便局も参照)。

「五條」表記

市役所、警察署、消防署、郵便局(2002年7月1日から)、奈良交通(五條バスセンター、ほかバス停留所名)、町名の五條1~4丁目、小中高校名、インターチェンジ

この他、主な官公庁の殆どが「五條」表記。

「五条」表記

JR和歌山線 五条駅 (奈良県)(ただしバス停は「五條駅」)、郵便局(2002年6月30日まで)

類似の例としては四條畷市を参照。

『じょう』の表記についての運動

過去の五條市(五條村、宇智郡)の記述についてはどちらの表記も出ている。

明治以降、五條代官所がこの地にあった事などから「五條県」が置かれており、当時の公文書等などからも『五條』とされていることが確認できる。
旧字体の簡素化が推奨される時代であった1957年の市制施行の際も、初代市長である山本米三は表記を「五條市」として国及び県に申請している。
ところが官報の告示に「五条」と誤って記載されてしまったため、市は即座に修正を行うよう国に要請し、次の官報では誤字であった旨が再告示されている。
一方、奈良県の広報には最初から「五條」と表記されている。

市制施行40周年を迎えた1997年、市民から表記の混在を少なくしようという運動が起こったため、市は多くの公共機関に対して市名として用いる時の「五条」を「五條」と改めるよう要望を行った。
その結果、国(道路の案内標識)、奈良県、警察署、郵便局、主な新聞社、奈良交通などにおいて修正が行われた。
ただし現在でも、一部のコンピュータシステム等の問題(旧字体を使用できない、システム変更に費用がかかる)から「五条」としか表記出来ないもの(例:銀行・郵便の貯金部門)や、固有名詞であるもの(例:「五条」を冠した会社名、駅名である「五条駅」)など、僅かながらも「五条」の表記が残っている。

人口

奈良県統計

2007年10月1日現在 36,144人

人口増加率(2002年→2007年) -7.8%

※2002年の人口は、五條市・西吉野村・大塔村 合算

大阪都心部に直通する鉄道路線を持つ隣の橋本市、大淀町に比べて交通の便が悪い。
両市町ではベッドタウンとして宅地開発が進み人口が急増したのに比べて、五條市の人口は横ばい傾向である。

歴史

古代の宇智郡の地であり、宇智神社を始め、大和に移住させられた阿田隼人が祭った阿陀比売神社(旧・阿陀郷)などの延喜式内社が鎮座する。
また栄山寺には奈良時代に藤原仲麻呂が創建した八角堂(国宝)も残る。

南北朝時代の1348年に南朝の本拠地である吉野が陥落した際に、後村上天皇が賀名生(現在の五條市西吉野町)に入り、一時期南朝が置かれた。
1600年に松倉重政が関ヶ原の戦いの論功で領土を与えられ、大和五条藩(現在の五條市二見)が成立、江戸時代に入り1616年に重政が島原藩に移封されるまで存続した。

重政は五条藩では城下町である新町の振興に努めてその後の繁栄の基礎を作った。
しかし、島原藩移封後は圧政を敷き島原の乱の原因を作った。
その後、江戸幕府の天領となり、1795年に五條代官所が設置された。
多数の街道や吉野川(紀の川)の水運など交通の便に恵まれ、南大和統治の中心地として栄えた。
旧紀州街道に当たる新町通りが街の中心で、現在も往時をしのばせる家屋が多数残っている。

1863年(文久3年)8月17日(旧暦)、天誅組が五條代官所を襲撃、代官鈴木源内を殺害し倒幕運動の烽火を上げたことでも知られる(天誅組の変)。
天誅組の本陣は桜井寺(現在の五條市須恵、本陣交差点の近く)に置かれ、一時「五條仮政府」を名乗った。

明治初年の一時期五條県が置かれた。

1957年(昭和32年)10月15日 南宇智村を除く宇智郡内の2町6村(五條町・牧野村・北宇智村・宇智村・大阿太村・南阿太村・野原町・阪合部村)が合併して成立。

1959年(昭和34年)1月1日 宇智郡南宇智村を編入。

2005年(平成17年)9月25日 吉野郡西吉野村、大塔村 (奈良県)を編入した。
なお、旧西吉野村の大字には「(五條市)西吉野町」、旧大塔村の大字には「(五條市)大塔町」をそれぞれ頭に付ける形となった。

市長

吉野晴夫(2007年4月 -)

2007年6月、奈良新聞が「吉野晴夫が暴力団関係者を通じて榎信晴・前市長に辞職を強要した」疑惑を報じた。
吉野晴夫は否定したが、市議会がこれを問題視し、7月に教育委員人事を否決するなど、市政が混乱している。
8月10日に開かれた市議会で、事実調査するための地方自治法に基づく百条委員会の設置が提案され、賛成多数で可決された。
9月20日に百条委員会の調査特別委員会による吉野晴夫と暴力団関係者に対する証人喚問が行われたが、両者の証言は大きく食い違っていた。

経済

産業

カキノキ

割り箸の製造・卸(市内にの事務局がある)

製材業

市内北東部の住川町に工業団地テクノパークならがある。

市内北西部には、旧大和団地(現大和ハウス工業)が開発したニュータウンである「南大和ネオポリス」(町名は田園)、「なつみ台ヴェルデステージ」(町名はなつみ台)が広がっている。

商業施設は、ファッションセンターしまむら五條店、五條サティ (チェーンストア)、オークワ五条店、コーナンホームストック五條二見店などがあり、国道24号線沿いに集中している。
国道から外れた五条駅周辺の商店街は衰退が著しい。
その国道も京奈和自動車道五條道路(国道24号バイパス)の開通によって交通量が減少している。
2005年4月、隣接する和歌山県橋本市に地域最大級のショッピングモール(オー・ストリート橋本彩の台)が開業した。

主な事業所

光洋機械工業 五條工場(住川町、テクノパーク・なら内)

柿の葉すし本舗たなか 本社(住川町、テクノパーク・なら内)

ホソカワミクロン 奈良事業所(住川町、テクノパーク・なら内)

ホシエヌ製薬 本社・五條工場(住川町、テクノパーク・なら内):プレコール、ピロエースなど一般用医薬品を中心に製造

筒中プラスチック工業 奈良工場(住川町、テクノパーク・なら内)

日本バルカー工業 奈良事業所(住川町、テクノパーク・なら内)

大和物産 本社(住川町、テクノパーク・なら内):割り箸メーカー

クラブコスメチックス 五條工場(住川町):化粧品メーカー

魚谷鉄工 本社・犬飼工場(犬飼町):さとうきび収穫機で有名

富山蘭園 奈良農場(野原東):園芸研究家・富山昌克が経営する農場

交通

鉄道

西日本旅客鉄道

和歌山線 北宇智駅 - 五条駅 (奈良県) - 大和二見駅

市東部は大淀町にある近鉄吉野線福神駅・大阿太駅を利用することが多い。

市西部は和歌山県橋本市にある南海高野線橋本駅・林間田園都市駅を利用することが多い。

かつては、大和二見駅付近から川端駅までの貨物支線があった。
また、五条駅と新宮駅を結ぶ五新線の建設計画が存在し、一部工事が進められた。
現在、市内中心部に五新線の高架橋跡が残っている。

路線バス

奈良交通

道路

五條市は大阪府・和歌山県方面、吉野山地方面に向かう道路の結節点になっている。

京奈和自動車道(予定) 現在五條市内の区間は「五條道路」とも呼ばれている。

レジャー

紀の川

金剛山 (金剛山地)

赤谷オートキャンプ場(森乃湯)

観光

古代から近世に至るまでの史跡が市内に点在する。

栄山寺(国宝の八角堂と梵鐘がある)

新町通り(江戸時代の雰囲気を残す旧紀州街道)

栗山家住宅(1607年築、建立年代の判明する日本最古の民家といわれる。重要文化財。非公開)

まちなみ伝承館

まちや館(政治家・木村篤太郎の生家)

桜井寺、天誅組本陣跡

五條文化博物館(安藤忠雄設計の円筒形の外観が特徴)

寄足山生蓮寺(雨晴れ地蔵のお寺、高野山真言宗)

大澤寺

辯天宗総本山如意寺、宗祖御廟

賀名生梅林

賀名生皇居跡

西吉野温泉

星のくに(道の駅、天文台、プラネタリウム、宿泊施設、星乃湯)

大塔村郷土館

ふれあい交流館(大塔温泉「夢乃湯」)

高野辻ビューポイント

宮の滝

柿博物館

遺構

五新線(阪本線) 市街地・山間部に廃線跡が残っている。

祭り

1月14日 鬼走り(大津町、念仏寺陀々堂)

8月15日、16日 吉野川祭り(大川橋河川敷)

その他

大阪大学核物理研究センター (RCNP)

大塔コスモ観測所(旧国鉄五新線 天辻隧道内)

人口3万8千人ながら、市立の体育館が14館もあり非常に充実している。
天気予報の発表区分および気象警報・注意報の発表区分について、合併前の五條市域と旧吉野郡西吉野村域は「奈良県全域 > 奈良県北部 > 奈良県五條・北部吉野」。

旧吉野郡大塔村域は「奈良県全域 > 奈良県南部 > 奈良県南西部」である。
合併後も区分変更は行われていないために同じ五條市内で天気予報の発表区分および警報・注意報の発表区分が2つある。
いわゆる「平成の大合併」で天気予報の発表区分や気象警報・注意報の発表区分を2つ以上持つ市町村が数多く発生している。
しかし、2008年(平成20年)11月現在、奈良県内ではいずれもこの五條市のみとなっている。
なお、衆議院選挙区は現在の五條市全域が「奈良4区」であり、これは合併前と変わっていない。

[English Translation]