近江八景 (Omihakkei (the eight views of Omi))
近江八景(おうみはっけい)とは、日本の八景の一つである。
琵琶湖の南部から八箇所の名所を選んだもので、瀟湘八景図(北宋時代成立)になぞらえて選定されている。
この瀟湘八景図は、中国湖南省の洞庭湖および湘江から支流の瀟水にかけてみられる典型的な水の情景を集めて描いたものである。
八景としては、日本でもっとも初期に選定された。
由来
明応9年(1500年)近江国に滞在した近衛政家(公家)が、近江に因んでの和歌八首を詠んだ、とする史料もある。
しかし、当時の政家の日記『後法興院記』の調査により、政家が近江に滞在して近江八景の和歌を詠んだとされる明応9年8月13日_(旧暦)(1500年9月16日)は、外出せず自邸にこもっていたことが判明している。
また伴蒿蹊は慶長期の関白・近衛信尹自筆の近江八景和歌巻子を知人のもとで観覧した。
その奥書に、現行の近江八景と同様の名所と情景の取り合わせに至る八景成立の経緯が紹介されている。
この記事により、現行の近江八景の成立は、近衛信尹によるものという見方が有力である(奥書の原本は未確認である)。
実際、政家によって近江八景が成立したとなると、室町時代に制作された近江八景図の遺例が存在してもよい。
しかし、そのような作例は確認されていない。
近江八景の絵画作品の登場が17世紀後期以降であることを考えると、先行すべき和歌の成立が17世紀初期であるのは自然である。
内容
石山の秋月(いしやまのしゅうげつ)
- 石山寺
勢多(瀬田)の夕照(せたのせきしょう)
- 瀬田の唐橋
粟津の晴嵐(あわづのせいらん)
- 粟津原
矢橋の帰帆(やばせのきはん)
- 矢橋
三井の晩鐘(みいのばんしょう)
- 三井寺
唐崎の夜雨(からさきのやう)
- 唐崎神社
堅田の落雁(かたたのらくがん)
浮御堂
比良の暮雪(ひらのぼせつ)
- 比良山系
下は歌川広重によって描かれた「近江八景」である。
唱歌
1900年に大和田建樹が作詞した『鉄道唱歌』第1集東海道編では、近江八景が歌詞に登場する。
これは、建樹が強い関心を持っていたため、近江八景をわざわざ歌詞を割いてまで全て歌いこんだとみたれている。
39.いよいよ近く馴れくるは 近江の海の波のいろ
その八景も居ながらに 見てゆく旅の楽しさよ
40.瀬田の長橋横に見て ゆけば石山観世音
紫式部が筆のあと のこすはここよ月の夜に
41.粟津の松にこととえば 答えがおなる風の声
朝日将軍義仲の ほろびし深田は何(いず)かたぞ
42.比良の高嶺は雪ならで 花なす雲にかくれたり
矢走(やばせ)にいそぐ舟の帆も みえてにぎわう波の上
43.堅田におつる雁がねの たえまに響く三井の鐘
夕くれさむき唐崎の 松には雨のかかるらん
44.むかしながらの山ざくら におうところや志賀の里
都のあとは知らねども 逢坂(おうさか)山はそのままに
短歌
大田南畝が琵琶湖を訪れた際、近江八景8つすべてを31文字の歌の中に入れて詠んだら籠代をただにしてやると籠屋に問われ歌ってみせたとされる。
のせた(瀬田)から さき(唐崎)はあわず(粟津)か ただ(堅田)のかご
ひら(比良)いしやま(石山)や はせ(矢橋)らしてみい(三井)
近江八景を取り入れた庭園
玄宮園
中津万象園