大枝山 (Mt. Oe (大枝山))

大枝山(おおえやま)、京都府にある山。
京都市西京区と亀岡市の境に位置する。
標高は480m。
大江山(『万葉集』)・大井山(『日本後紀』)とも呼ばれている。
また、この山の北側山腹にある標高230mの老ノ坂峠(おいのさかとおげ)を指す場合がある。

大枝山の峠は、昔は「大江坂(おおえのさか)」と呼ばれ、それが変化して老の坂(老ノ坂峠)と呼ばれるようになった。

平安京から山陰道を下る場合、山城国と丹波国の国境にある大江坂に設けられた大江関(おおえのせき)を必ず越えて京と別れを告げることになった事から、古くから歌枕の地として知られていた(平安遷都以前にも淀川経由で平城京に向かう場合の経路とされている)。
また、交通・軍事の要所であったことから承和の変や保元の乱などの時には老の坂を軍勢で固めて不審者の京からの出入りを防いだ事が記録されている。
また、著名な武将がここを通過したことで知られ、一の谷の合戦の源義経、六波羅探題攻撃の足利高氏、本能寺の変の明智光秀などは皆ここを通って戦地に向かったとされている。
室町時代には関所も設置された。
キリシタン大名として知られた内藤忠俊(如安・後に小西行長家臣)が丹波の小領主だった時代、ルイス・フロイスら宣教師が忠俊の招待を受けてここを経由して丹波に入ったとする記録が残されている。

また、ここは平安京外部の穢れから平安京を防禦し、中で生じた穢れを排除する地として四堺の一つに規定された。
このため、大枝山周辺は京都から放逐された盗賊の住処として知られ、また鬼が住まう地として信じられていた。
酒呑童子の「大江山」をこの大枝山の事だとする伝説もあり、老ノ坂峠の南側には現在も酒呑童子のものと伝えられる首塚が置かれている。

以前は老ノ坂峠を経由して京都と亀岡をつないでいたが、現在はその真下に新老ノ坂トンネル(国道9号および京都縦貫自動車道)が掘られている。

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