大江山 (Mt. Oe)
大江山(おおえやま)は京都府丹後半島の付け根に位置し与謝野町、福知山市、宮津市にまたがる連山である。
標高833m。
別称、与謝大山。
酒呑童子伝説で知られる。
また、雲海の名所としても知られている。
2007年8月3日には丹後天橋立大江山国定公園として国定公園にも指定されている。
鉱山としての大江山(大江山ニッケル鉱山と河守鉱山)
地質学的には地球の深部から隆起した地層で塩基性の岩盤を持つ。
金属鉱脈が豊富で周辺には金屋など金属にまつわる地名が多く見られる。
1917年に鉱床が発見され、1933年から太平洋戦争末期にかけて兵器に不可欠なニッケルを確保するため大江山から採鉱。
日本海に面した岩滝町の精錬場まで専用鉄道(加悦鉄道)で輸送し、精製した。
この鉱山には中華民国・朝鮮から多くの人が徴用された。
中国人労働者16人が過酷な労働を強制されたとして損害賠償訴訟を1998年8月に京都地方裁判所へ提訴。
2004年9月29日、日本冶金工業(東京都)が和解金として計2100万円を支払い、大阪高等裁判所で一部和解が成立。
しかしながら、2007年5月12日の上告審判決で、最高裁判所 (日本)(田原睦夫裁判長)は、国への損害賠償請求を完全に退ける決定をした。
未だに戦争の影を今日に至るまで引きずっている。
鬼退治伝説
大江山には3つの鬼退治伝説が残されている。
一つは、古事記に記された、崇神天皇の弟 日子坐王(ひこいますのみこ)が土蜘蛛 陸耳御笠(くぐみみのみかさ)を退治したという話。
二つめは聖徳太子の弟 麻呂子親王が英胡、軽足、土熊を討ったという話、三つめが有名な酒呑童子伝説である。
これは能の演目、大江山(五番目物の鬼退治物)にもなっている。
これらの伝説にちなみ、大江山の山麓にあった廃坑となった銅鉱山跡に1993年日本の鬼の交流博物館が作られた。
なお、酒呑童子の本拠とした「大江山」は、この丹後の大江山であったという説のほかに、京都市西京区にある山城国と丹波国の境、山陰道に面した大枝山(おおえやま)という説もある。
鬼退治伝説の意味
大江山の位置する丹後地方は古くから大陸との交流が深く、渡来人は高度な金属精錬技術により大江山で金工に従事、多くの富を蓄積していた、これに目を付けた都の勢力は兵を派遣、富を収奪し支配下に置いた。
多分このような出来事が元になり自分達を正当化、美化しようとの思いから土蜘蛛退治や鬼退治伝説が生まれたのではないかとする説と同時に、渡来人が寄り集まって山賊化して非道な行いをしたので鬼と呼ばれたという説もある。
短歌
小倉百人一首には「大江山いく野の道の遠ければ、まだふみも見ず天の橋立」(小式部内侍)という歌がある。
ここでの大江山は本項でのものと京都市西京区の大枝山をかけているとの説もある。