奈良 (Nara)

奈良(なら)は、日本の歴史的都市で、かつての平城京に当たる。
「那羅」「平城」「寧楽」と書いて「なら」と読む事もあった。
平安京(京都)に都が遷った後は南都(なんと)と呼ばれた。

概要

平城京が置かれていた奈良時代には、シルクロードの終着点として国際色豊かな天平文化が花開き、大伽藍が建ち並ぶ都として数々の貴重な文化財が創り出された。
国宝建造物数は日本最多。

文学の面では古事記、日本書紀、万葉集、風土記など国内最古の史書や歌集が編纂された。

平安京への遷都以後も南都と称されて、日本の宗教・文化の歴史において大きな影響を与えた。

現在は年間を通して新旧の行事で賑い、国際観光文化都市として国内外から多数の観光客が訪れている。

2010年に平城遷都1300年記念事業が開催予定。

※明治維新以降の奈良については「奈良市」を参照。

※県については「奈良県」を参照。

歴史

710年(和銅3)藤原京から平城京へ遷都。

724年(神亀元)聖武天皇即位。

729年(天平元)長屋王の変起こる。

752年(天平勝宝4)東大寺大仏の開眼供養が行われる。
東大寺二月堂修二会始まる。

753年(天平勝宝5) 唐より鑑真が来日。

764年(天平宝字8) 藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱。

784年(延暦3) 平城京から長岡京へ遷都。

1136年(保延2) 春日若宮おん祭が始まる。

1180年(治承4) 平重衡南都を攻め、東大寺・興福寺を焼く(南都焼討)。

1533年(天文 (元号)2) 奈良町の高天市、次いで南市開かれる。

1559年(永禄2) 松永久秀、多聞山城を築き居城とする。

1567年(永禄10) 東大寺大仏殿の戦いにより東大寺盧舎那仏像の仏頭が焼け落ちる。

1613年(慶長18) 江戸幕府が奈良奉行を置く。

1664年(寛文4) 奈良を直轄領とし、南都代官所を設置。

1704年(宝永元) 奈良町大火、約2000戸を焼く。

1868年(明治元) 奈良奉行を廃止し、興福寺が町政にあたり、大和鎭撫総督府、奈良府が置かれる。

1875年(明治8) 東大寺大仏殿回廊で第1回奈良博覧会が開催。

1880年(明治13) 奈良公園開設。

1892年(明治25) 奈良~大阪・湊町間に鉄道開通。

1895年(明治28) 帝国奈良博物館(現奈良国立博物館)が開館。

1898年(明治31) 奈良市制施行。

1910年(明治43) 平城遷都1200年祭開催。

1914年(大正3) 大阪電気軌道(現近鉄奈良線)大阪上本町~奈良間開通。

1921年(大正10) 平城宮跡が史跡に指定。

1988年(昭和63) 奈良市制90周年。
なら・シルクロード博開催。
平城宮跡で長屋王邸宅跡出土。

1998年(平成10) 奈良市制100周年。
古都奈良の文化財が世界遺産に登録される。

2010年 平城遷都1300年記念事業開催予定。

観光名所

平城宮跡 世界遺産
奈良文化財研究所平城宮跡資料館
朱雀門
法華寺
海龍王寺 五重小塔が国宝
西大寺 (奈良市)
奈良公園
若草山
東大寺 世界遺産、南都七大寺
正倉院 世界遺産
興福寺 世界遺産、南都七大寺
猿沢池
奈良国立博物館
春日大社 世界遺産
春日山原生林 世界遺産
奈良ホテル
高畑
奈良市写真美術館
新薬師寺
志賀直哉旧居(高畑サロン)
白毫寺
頭塔
ならまち
元興寺 世界遺産、南都七大寺
庚申堂 (奈良)
奈良きたまち
多聞山城跡 松永久秀の城
般若寺 楼門が国宝
不退寺 在原業平所縁の寺
西ノ京
薬師寺 世界遺産、南都七大寺
唐招提寺 世界遺産、南都七大寺
秋篠
秋篠寺
その他地域
大安寺 南都七大寺 ぼけ封じの笹酒が有名
帯解寺

祭り・行事
若草山山焼き(1月)
大安寺光仁会(1月)
東大寺修二会(お水取り)(3月)
西大寺 (奈良市)大茶盛式(4月)
平城遷都祭(4月)
薪御能(5月)
唐招提寺うちわまき(5月)
率川神社三枝祭-ゆり祭-(6月)
大安寺竹供養(6月)
大文字送り火(8月)
春日大社万燈籠 (2月、8月)
なら燈花会(8月)(なら燈花会)
バサラ祭り(8月)
芝能(9月)
采女祭(9月)
鹿の角きり(10月)
正倉院展
春日若宮おん祭(12月)

備考

「奈良」の語源としては「平らな、平坦な(土地)」を意味する「なら(す)」であるという説が有力である。
直接には、「則ち精兵を率ゐて、進みて那羅山に登りて軍いくさす。時に官軍屯聚して、草木を蹢跙す。因りて其の山を號して、那羅山と曰ふ。蹢跙、此を布瀰那羅須ふみならすと云ふ」〈『日本書紀』崇神天皇 10 年〉に拠る。
朝鮮語で「国」という意味の「나라(発音ナラ)」を語源とする説もある。
しかし、歴史的根拠に乏しく、「ナラ」の呼称が出る万葉集時代に朝鮮で「나라(発音ナラ)」と言う言葉が用いられていたことを示す文献等は現在存在しない。

[English Translation]