海津大崎 (Kaizu-osaki)

海津大崎(かいづおおさき)は滋賀県高島市マキノ町にある、琵琶湖にせり出した岩礁地帯で、琵琶湖八景の一つ。

概要

高島市マキノ町を含む湖西、湖北一帯の湖岸は、景勝の地として有名であるが、海津大崎の岩礁は、その中でも随一の景観を誇っている。
青く澄んだ静かな湖面に東山を主峰とする緑濃き山塊がどっしりとそびえる様は、比較的平坦な地形の多い琵琶湖において、稀な景観を呈し、神秘的かつ猛々しい雰囲気をかもし出している。

琵琶湖には室町時代の明応9年(1500年)近衛政家が中国の瀟湘八景にならって選んだとされる近江八景があり、歌川広重の浮世絵に美しく表現され、近世において有名となった。
近江八景が主として湖南を中心として選ばれているのに対し、昭和25年(1950年)琵琶湖とその周辺が琵琶湖国定公園に指定されたの契機に選定された琵琶湖八景は、近代感覚をもとに琵琶湖の広大さと変化ある景観を主として選ばれている。

海津大崎の桜

海津大崎の桜並木は、昭和11年(1936年)6月に大崎トンネルが完成したのを記念して海津村(現・高島市マキノ町)が植樹したものである。
満々と水をたたえる琵琶湖の青と東山連峰の緑の間を可憐なピンクの花びらが帯状に延びる景観は、奥琵琶湖に春の訪れを告げる代表的な風物詩である。
例年4月中旬には、延長約4kmにわたって約600本のソメイヨシノ桜が咲き誇り、美しい花のトンネルを散策する多くの観光客でにぎわう。

この桜並木の誕生は、海津村による植樹に先立つこと5年前、当時滋賀県高島地方事務所に道路補修をする修路作業員として勤めていた宗戸清七(当時37歳・百瀬村(現高島市マキノ町)在住)が作業の合間に自費で購入した若木を植えたことに端を発する。
宗戸は当時未舗装の県道の改良や補修を日常業務とし、助手2人とリヤカーに土砂を積んで毎日巡回し、くぼみに土砂を埋め、盛り上がっている場所を削って平らにするという作業に携わっていた。
重労働の疲れを癒してくれたのが、道から見える澄み切った琵琶湖と沖に浮かぶ竹生島の姿であった。
愛着のある道に何か残したいと思った彼は、桜の並木があれば景色が華やかになると考え、まったくの自力で桜を植え始めた。

3年後に若木が花をつけはじめると、村の青年団も協力しはじめた。
彼の指示で団員がリヤカーに水や土を運び、若木がしっかりと根付くよう丹精こめて植樹したのである。
こうして、宗戸と村の若者たちが植えた桜がしっかりと根を下ろしたことが、現在の桜並木をつくる大きなきっかけとなったのである。
その後も、地元の人々や観光関係者たちがこの桜並木を大切に育て、たび重なる豪雪やがけ崩れによる被害のさいにも黙々と補植し、守り続けた。

海津大崎の桜も還暦を過ぎ、樹勢もかつてのような勢いはなくなってきたが、マキノ地区住民の誇りとも言うべき桜並木は大切に守り育てられ、後世に引き継がれようとしている。
平成2年(1990年)3月、桜並木は財団法人日本さくらの会から「日本さくら名所100選」に選ばれ、日本各地から注目されるに至っている。

見所

安土城の血天井

義経の隠れ岩

桜並木

岩礁

大崎寺

アクセス

JR湖西線マキノ駅下車、徒歩25分 ※桜シーズンのみ路線バスが運行
大阪駅から新快速で約1時間35~40分(特急列車「雷鳥 (列車)」を利用して近江今津駅で乗り換えた場合は約20~25分短縮される)
桜の季節には観光船あり(今津港、長浜港から)。

[English Translation]