不孝 (Fukyo)
不孝(ふきょう)
古代律令法においては、八虐の1つ。
子孫が祖父母・父母に対して悪逆(殺人)以外の犯罪行為を犯すこと。
中世においては、祖父母・父母が子孫に対してその家族関係の断絶を宣言すること。
義絶(ぎぜつ)と同義。
江戸時代以後には勘当と呼ばれた。
近世以後現代においては、「ふこう」と呼んで子孫が祖父母・父母に精神的負担をかける反道徳的行為のこと。
→親不孝
律令法における「不孝」
大宝律令・養老律令においては名例律によって定められた八虐の1つである。
子(あるいは孫)が父母(あるいは祖父母)に対して行うことが違法となる行為を指し、訴訟を起こすこと、呪詛すること、罵詈を浴びせること、父母(祖父母)の許可なく勝手に戸籍や財産を分けて独立すること、父母(祖父母)の喪中(1年間)に婚姻すること、音楽などの娯楽にふけったり喪服を脱ぐこと、父母(祖父母)の死を聞いても悲しまずに平然としていること、父母(祖父母)が死んだと偽ってその妾と通じることが挙げられた。
これらの行為は徒罪の対象であり、特に父母(祖父母)への訴訟は死罪_(律令法)の1つである絞に処せられて、皇族や公卿でも減刑されることが無い重罪とされた。
なお、中国の律令法では、父母(祖父母)に対する供養の欠如も不孝とされていたが、日本の律令法には導入されなかった。
中世における「不孝」
中世においては、律令法とも現代のものとも違い、父母(祖父母)側より子(孫)に対して関係を絶つ行為を指す。
公家法と武家法では条件が一部異なるが、教令違反・孝養の欠如あるいは不始末・向背(命令・指示違反)・不行跡・敵対行為などの非行行為の存在が挙げられ、具体的な証拠がなくても父母(祖父母)側の主張によって認められた。
不孝と認定された子は家から放逐され、嫡子としての家督継承権や財産の相続権なども全て剥奪され、既に分与・継承された財産は没収されて父母(祖父母)のもとに戻された(悔返)。
なお、義絶もほぼ同一であるが、父母(祖父母)側は内外にその事実を公表して証拠となる義絶状を作成すること、子(孫)が犯罪を犯しても連座の対象にならないことに違いがあった。
もっとも、南北朝時代_(日本)には単なる不孝でも死後の紛糾を避けるために証拠文書などの作成が必要となり、不孝は義絶の別称となった。
更に室町時代に入ると、本来は主従間の関係断絶行為であった勘当という行為が家族内にも適用されて不孝・義絶と同じ法的効果をもたらすようになり、不孝という言葉は使われなくなった。
そのため、江戸時代以後は父母(祖父母)が子(孫)との関係を絶つことを「勘当」、それ以外の親族による縁戚関係断絶行為一般を「義絶」と称するようになった。