京都見廻組 (Kyoto mimawarigumi)
京都見廻組(きょうとみまわりぐみ)は、江戸時代末期(幕末期)に幕臣によって結成された、京都治安維持の組織。
元治元年(1864年)、江戸幕府は京都守護職配下として蒔田廣孝と松平康正を京都見廻役に任命した。
そしてその配下として旗本、御家人を組織して京都見廻組が創設された。
詰所は二条城の側に置かれたという。
それぞれの見廻役が配下の組を持ち、それぞれ見廻役の官職名から相模守組(蒔田廣孝)と出雲守組(松平康正)と呼ばれ、各200名ほどの組員を指揮した。
見廻組は新選組と共に一般犯罪者ではなく、反幕府勢力の取り締まりを専門に行った。
見廻組は主に御所、二条城周辺といった官庁街を管轄とし、新撰組は祇園や三条といった町人町、歓楽街を管轄とした。
そのためか、新撰組と共同戦線をとったことはあまり無かったらしい。
相模組与頭の佐々木只三郎、渡辺吉太郎、高橋安二郎、桂早之助、土肥仲蔵、桜井大三郎、今井信郎らが坂本龍馬暗殺の実行犯として有力とされる。