亭子院歌合 (Teiji-In Uta-Awase (The Contest Of 'Tanka' [Thirty-One Japanese Syllable's Poem] In Teiji-In))
亭子院歌合(ていじいんうたあわせ)とは、延喜13年3月13日 (旧暦)(913年4月22日)に宇多法皇が自分の御所としていた亭子院において開いた歌合。
本来は2月 (旧暦)・3月 (旧暦)・4月 (旧暦)・恋を題材としてそれぞれ10番(40番80首)にて行われる予定であった。
実際には、何らかの事情によって、4月と夏が5番ずつ略されて計30番60首で行われた(ただし、記録には省略されたものも採録されている)。
証本には伊勢 (歌人)によるものとされる仮名日記が付けられている。
これにより当日の次第・様子を知ることが可能である。
なお、この日記は現存する最古の女流日記である。
参加者は左右の頭・親王・歌よみ・方人・判者・講師・員刺(かずさし)などによって構成された。
州浜・文台・奏状・奏楽・賜禄・紫檀の箱などが見られた。
いずれも天徳の歌合をはじめとする後の歌合の範となった。
歌よみとして知られているのは、藤原興風・凡河内躬恒・坂上是則・紀貫之であるが他に宇多法皇・伊勢・大中臣頼基の歌も含まれていた。
判者は藤原忠房が任じられていたが、当日不参のため法皇が直接判を下した。
法皇勅判による判詞は現存最古のものである。
現存の証本には原型と考えられる10巻本と後世のものとされる20巻本がある。