伝馬 (Tenma)
伝馬(てんま)または伝馬制(- せい)とは、古代から近世までの日本に見られた使者や物資を馬で運ぶ交通制度、またはその馬。
古代においては、7世紀後半頃に律令制の中央・地方間の情報伝達システムとして伝馬制が整備された。
その後、おそらく10世紀以降に古代伝馬制は廃れたが、中世に至り荘園領主や地頭らが居住地と自領を結ぶ伝馬を置きはじめた。
戦国時代 (日本)には、戦国大名らが自領内の街道に宿場を設け、本城と支城などを連絡する伝馬を設置した。
近世に入ると、江戸幕府は諸街道を整備し、各宿場に伝馬を常設させた。
古代
古代律令制における交通制度は駅伝制と総称されるが、主に駅制、伝馬制、伝制の3システムに分けられる。
駅制は中央と地方との間相互の緊急情報伝達を主眼としたシステムであり、そのため中央から地方へのびる幹線道路たる駅路と駅路沿いの駅家が整備され、情報伝達者は駅鈴を携帯し、駅家に各5 - 20匹置かれた駅馬を利用して駅路上を通行していた。
伝馬制は駅制と異なり、使者を中央から地方へ送迎することを主目的としていた。
中央から地方へ派遣される使者は、伝符を携行し、郡家ごとに5匹ずつ置かれた伝馬を乗り継ぎ目的地へ到達した。
使者の位階に対応して使用可能な馬の数が決められていた。
伝符に使者の位階を示す刻みがつけられ、それにより判別可能であった。
使者の宿泊や食糧などは、郡家が負担することとなっていた。
伝馬制は当初、特命任務を帯びた使者を中央から地方へ派遣するための制度として想定されていた。
実際例としては、覓珠玉使、中宮職促稲使、検舶使、流人、流人部領使などがある。
しかし、律令制初期から、新任国司の赴任交通手段として伝馬を利用する事例が見られ始めると、平安時代初期までに、伝馬制は新任国司赴任のための専用制度になった。
10世紀初めに編纂された『延喜式』に伝馬を置く郡が列挙されているが、新任国司の通過路線に限定して伝馬が設置されるようになったことがわかる。
地名
主に近世の伝馬所(問屋場)に発祥した伝馬地名が各所に残されている。
(詳細→伝馬町)