公儀 (Kogi)
公儀(こうぎ/くうぎ)とは、中世・近世において公権力を指して用いた言葉。
本来、公家という言葉が「おおやけ」すなわち朝廷及び天皇を指していたが、領主制による私的支配に由来する新たな公権力である武家政権成立後に武家である幕府及び征夷大将軍と区別するために公儀という言葉も用いられるようになった。
やがて、南北朝時代 (日本)に入ると、北朝 (日本)を擁する室町幕府(武家側)と南朝 (日本)の吉野朝廷(公家側)の対立によって、自己が所属する公権力側を「公儀」と呼ぶようになり、その結果幕府や将軍に対しても公儀が用いられるようになった。
豊臣政権末期の政情不安定期に公権力を漠然と公儀と呼ぶ慣習が生まれ、江戸時代に入ると統一政権で諸領主権力間の唯一の利害調整機関となった江戸幕府を指して公儀と呼ばれるようになった。
ただし、地域領主である藩などを指して公儀と呼ぶ習慣も残り、幕府のことを「公儀の公儀」と認めて特に大公儀(おおこうぎ)とも呼ぶようになったのは寛永以後と言われている。
ただし、当時の公私関係は曖昧であり、一般民衆及び下位権力から見て上位権力は公儀であったが、上位権力から見て一般民衆及び下位権力は領主としての私的支配によって結び付けられた「わたくし」の存在であった。
また、世間とは公(上位)と私(下位)が交錯する世界であり、そこに対しても(上位権力をも対象に含むことから)公儀と呼称する場合もあった。
今日でも「世間」・「世間体」のことを公儀と呼ぶ用法が残っているのもその名残であるとも言える。