内閣官制 (Naikaku-kansei (Cabinet organization order))

内閣官制(ないかくかんせい)とは、広義には内閣 (日本)の設置・廃止、名称、組織、権限等に関する定めをいい、狭義には1889年に定められた日本の法令、明治22年勅令第135号をいう。

広義の内閣官制には、1885年(明治18年)に制定され、内閣制度を初めて定めた明治18年太政官布告・太政官達第69号や、内閣職権を含める。

1947年(昭和22年)の日本国憲法施行後に、内閣法(昭和22年法律第5号)が施行されたことにより、内閣官制は廃止された。

前史
1868年(慶応4年)の五箇条の御誓文に示された政治方針は、太政官制度によって実現が図られた。
しかし、太政官に立法・司法・行政の全機能を集中させ、太政大臣に強力な権限を与えるこの制度は、近代国家の国政運営に適さないと考えられ、また、太政大臣の負担が大きく、かえって国家運営の停滞と責任の所在の不明確さを招いた。
そこで新たな制度を構築する必要に迫られた。

明治18年太政官達第69号と内閣職権
1885年(明治18年)、新しい国家運営の制度である合議体の内閣が定められた(明治18年太政官達第69号)。
その内容は、おおむね次のとおり。

太政大臣、左右大臣、参議及び各省卿の職制を廃し、新たに内閣総理大臣並びに宮内省、外務省、内務省 (日本)、大蔵省、陸軍省、海軍省、司法省、文部省、農商務省 (日本)及び逓信省の各大臣を置くこと。

内閣総理大臣及び各大臣(宮内大臣を除く。)をもって、内閣 (日本)を組織すること。

これにより、宮中(宮廷)と府中(政府)の別が明定され、行政責任を各省大臣が個別に負う体制の基礎が生まれた。
初代の内閣総理大臣には、参議であった伊藤博文が任命された。

また、同時に定められた内閣職権(全7条)によって、内閣機構の運営基準、主として内閣総理大臣の職務権限が定められた。
内閣総理大臣は「内閣ノ首班トシ機務ヲ奏宣シ旨ヲ承テ大政ノ方向ヲ指示」(2条)し、また「行政全部ヲ統督」(4条)すると定められ、少なくとも形式上は強力な権限を与えられていた。
しかし実際には、藩閥が対立均衡している下で、内閣が十分に力を発揮することは難しかった。

法文
太政大臣左右大臣参議各省卿ノ職制ヲ廃シ内閣総理大臣及各省諸大臣ヲ置キ内閣ヲ組織ス(明治18年太政官達第69号)
今般太政大臣左右大臣参議各省卿ノ職制ヲ廃シ更ニ内閣総理大臣及宮内外務内務大蔵陸軍海軍司法文部農商務逓信ノ諸大臣ヲ置ク
内閣総理大臣及外務内務大蔵陸軍海軍司法文部農商務逓信ノ諸大臣ヲ以テ内閣ヲ組織ス
内閣職権
第一條 内閣天皇ノ直轄ニ屬シ大權ノ施行ニ關シ國務大臣輔弼ノ任ヲ致ス所トス
第二條 内閣總理大臣ハ内閣ノ首班トシ機務ヲ奏宣シ旨ヲ承テ大政ノ方向ヲ指示スヘシ
第三條 内閣總理大臣ハ内閣ノ會議ヲ總括シ議事ヲ整理スヘシ
第四條 内閣總理大臣ハ行政全部ヲ統督シ各部ノ成績ニ付説明ヲ求メ及ヒ之ヲ檢明スルコトヲ得
第五條 凢ソ法律勅令ニハ内閣總理大臣之ニ副署シ、其各省主任ノ事務ニ屬スルモノハ内閣總理大臣及主任大臣之ニ副署スヘシ
第六條 各國務大臣ノ任免ハ内閣總理大臣之ヲ奏宣シ、内閣總理大臣ノ任免ハ首席國務大臣之ヲ奏宣ス
第七條 各大臣事故アルトキハ臨時命ヲ承ケテ他ノ大臣其事務ヲ管理スルコトアルヘシ

内閣官制(明治22年勅令第135号)
1889年(明治22年)、大日本帝国憲法が公布された。
この憲法では、天皇が統治権を総攬するものとし、「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」(55条1項)と定められた。
しかし、内閣についての規定は、憲法にはなかった。
行政権は国務各大臣の輔弼により天皇が自ら行うものとされ、内閣は国務各大臣の協議と意思統一のための組織体にすぎないものとされた。

同年12月24日、内閣制度運営の基準として、内閣官制(明治22年勅令第135号)が公布される。
その内容はほぼ内閣職権を引き継いだが、内閣総理大臣の権限は弱められた。
「内閣総理大臣ハ各大臣ノ首班トシテ機務ヲ奏宣シ旨ヲ承ケテ行政各部ノ統一ヲ保持ス」(2条)と定めていたが、この「首班」とは「同輩中の首席」を意味すると解された。

法文
内閣官制(明治22年勅令第135号)
第一条 内閣ハ国務各大臣ヲ以テ組織ス
第二条 内閣総理大臣ハ各大臣ノ首班トシテ機務ヲ奏宣シ旨ヲ承ケテ行政各部ノ統一ヲ保持ス
第三条 内閣総理大臣ハ須要ト認ムルトキハ行政各部ノ処分又ハ命令ヲ中止セシメ勅裁ヲ待ツコトヲ得
第四条 凡ソ法律及一般ノ行政ニ係ル勅令ハ内閣総理大臣及主任大臣之ニ副署スヘシ 勅令ノ各省專任ノ行政事務ニ屬スル者ハ主任ノ各省大臣之ニ副署スヘシ
第五条 左ノ各件ハ閣議ヲ経ヘシ
一 法律案及予算決算案
二 外国条約及重要ナル国際条件
三 官制又ハ規則及法律施行ニ係ル勅令
四 諸省ノ間主管権限ノ争議
五 天皇ヨリ下付セラレ又ハ帝国議会ヨリ送致スル人民ノ請願
六 予算外ノ支出
七 勅任官及地方長官ノ任命及進退
其ノ他各省主任ノ事務ニ就キ高等行政ニ関係シ事体稍重キモノハ総テ閣議ヲ経ヘシ
第六条 主任大臣ハ其ノ所見ニ由リ何等ノ件ヲ問ハス内閣総理大臣ニ提出シ閣議ヲ求ムルコトヲ得
第七条 事ノ軍機軍令ニ係リ奏上スルモノハ天皇ノ旨ニ依リ之ヲ内閣ニ下付セラルルノ件ヲ除ク外陸軍大臣海軍大臣ヨリ内閣総理大臣ニ報告スヘシ
第八条 内閣総理大臣故障アルトキハ他ノ大臣臨時命ヲ承ケ其ノ事務ヲ代理スヘシ
第九条 各省大臣故障アルトキハ他ノ大臣臨時摂任シ又ハ命ヲ承ケ其ノ事務ヲ管理スヘシ
第十条 各省大臣ノ外特旨ニ依リ国務大臣トシテ内閣員ニ列セシメラルルコトアルヘシ

内閣官制中改正ノ件(明治40年勅令第7号)
1907年(明治40年)公文式 (勅令)廃止・公式令制定に伴って内閣官制を改正した。
この改正では、内閣官制第四条にあった勅令副署規定を公式令に移し、公文式にあった内閣総理大臣の閣令制定権をここに移した。
その際、各省大臣の単独副署の制度が廃止され、全ての勅令に内閣総理大臣が副署することになった。
また、第四条ノニにおいて、内閣総理大臣の地方官庁に対する職権を明確にした。
ともに内閣総理大臣の権限を強化するものであった。

法文
内閣官制中改正ノ件(明治40年勅令第7号)
内閣官制中左ノ通改正ス
第四条 内閣総理大臣ハ其ノ職権又ハ特別ノ委任ニ依リ閣令ヲ発スルコトヲ得
第四条ノ二 内閣総理大臣ハ所管ノ事務ニ付警視総監、北海道庁長官府県知事ヲ指揮監督ス若シ其ノ命令又ハ処分ノ成規ニ違ヒ、公益ヲ害シ又ハ権限ヲ犯スモノアリト認ムルトキハ之ヲ停止シ又ハ取消スコトヲ得
附則 本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

[English Translation]