堅田藩 (Katada Domain)
堅田藩(かただはん)は、近江国滋賀郡・高島郡(現在の滋賀県大津市堅田)に存在した藩。
藩庁は堅田陣屋。
藩史
戦国時代 (日本)、堅田は堅田水軍と呼ばれる水軍衆がおり、安土城を本拠として天下布武を狙う織田信長にとっては、堅田は重要拠点と見なされていた。
また、堅田は水運地帯としても大いに栄えた。
元禄11年(1698年)3月7日、下野国佐野藩主であった堀田正高が1万石で堅田に移封されたことにより、堅田藩が立藩した。
藩政の基礎は初代藩主・正高から第3代藩主・堀田正永の頃にかけて固められた。
第6代藩主・堀田正敦は陸奥国仙台藩主・伊達宗村 (仙台藩主)の八男であり、その経緯から若年寄、湯島聖堂再建の副奉行、『寛政重修諸家譜』などの編纂を務めている。
この功績から、文化 (元号)3年(1806年)には3,000石を加増され、1万3,000石の所領を領することとなった。
なお、正敦は仙台藩の藩主に若年藩主が相次いだため、その補佐役も務めている。
藩政においても5ヵ年に及ぶ倹約令を発し、藩財政再建に努めた。
文政8年(1825年)4月には城主大名に任じられたが、翌年10月10日に再び佐野へ移封となったため、堅田藩はここに廃藩となった。
堅田の所領のうち、滋賀郡領は佐野藩の飛び地として幕末期まで受け継がれることとなった。