尺 (Shaku (a unit of length defined by the traditional East Asian system of weights and measures))
尺(しゃく)は、尺貫法における長さの単位である。
東アジアでひろく使用されている。
日本では、明治時代に1尺(10/33)メートル(約30.3cm)と定めた。
中国では、1尺(1/3)メートル(約33.3cm)とした。
また、メートルにも「尺」の字を宛てている。
区別のため、前者を市尺、後者を公尺という(市制 (単位系)を参照)。
人体の骨格の尺骨は、この尺とほぼ同じの長さであることに由来する。
尺貫法の長さの基準となる単位であり、転じて物の長さのことや物差しのことも「尺」と呼ぶようになった。
映画のフィルムやカットの長さのことを「尺」と呼ぶのもこれに由来する。
それがさらに広まり、テレビ、ラジオの番組や、各種イベントなどにおいて、割り当てられた時間のことを指すようにもなった。
歴史
尺という単位は古代中国の殷の時代には既にあったとされている。
「尺」という文字は親指と人差指を広げた形をかたどったものである。
元々は手を広げたときの親指の先から中指の先までの長さを1尺とする身体尺であった。
この長さはおおむね18cmくらいであり、現在の尺の6割くらいの長さである。
身体尺は人によって長さが異なるので、後の時代に一定の長さを1尺とする公定尺を定めるようになった。
しかし、公定尺は時代を下るにつれて長くなっていた。
これは民間で使われる単位が長くなっていったため、時の政権もそれを追認する形で公定尺を改訂したものである。
尺の長さを長くすることで尺を基準にして納める税(反物など)がより多くとれるからとする説もある。
紀元前1000年ごろの周代には、1尺が24センチメートル程度に伸びていた。
他の長さの単位も、尺に合わせて変化することになる。
しかし、民間の尺や公定尺とは別に、大工が使用していた尺は長い間たってもほとんど変化しなかった。
これが曲尺(かねじゃく、きょくじゃく)である。
曲尺とは元々は大工が使用する指矩(さしがね)のことであるが、それに目盛られている尺のことも指すようになった。
曲尺がほとんど変化しなかったのは、建築技術は師匠から弟子へと伝えられるもので、政治の影響を受けなかったためである。
公定尺は税の取立てや商取引のために制定されるものであり、職人の使う尺に干渉することはなかった。
曲尺は、面積の単位でもある歩 (尺貫法)を元にして作られたものである。
当初の歩は、日本語で言う2歩分(両足を前に踏み出した長さ)を1歩とし、歩四方を面積の1歩としていた。
その1歩の半分を曲尺の1尺とした。
すなわち、曲尺の1尺は日本語で言う1歩分(片足を前に踏み出した長さ)ということになる(なお、その後1歩の面積は大きくなってゆき、現在の1歩は曲尺で6尺四方となっている)。
曲尺の尺は西洋のフィートと非常に近い長さであるが、どちらも足を基準にしているためであり、偶然ではない。
隋代には、曲尺を元にして大尺・小尺を公定尺として制定し、唐でもそれを継承した。
それが日本に導入され、大宝 (日本)元年(701年)の大宝律令で大尺・小尺を制定している。
ただし異説もあり、日本には大宝令以前に高麗から渡来した大尺より2尺長い高麗尺が普及していたので、これが大宝令の大尺とされ、唐の大尺が小尺にされたともいう。
この説では、後に現れる曲尺1尺2寸の呉服尺は高麗尺に基づくものであるとする。
また、新井宏は寺院等の実測分析から高麗尺ではなく0.268mの尺が使用されていたという古韓尺説をとなえている。
いずれにしても小尺はその後用いられなくなり、大尺が尺として通用することになる。
唐の大尺は現在の曲尺で9.78寸(29.63 cm)であり、それ以来ほとんど変化していないことになる。
律令制崩壊後は、全国一律の尺は維持されなくなり、各地で様々な尺が使われるようになった。
代表的なものが京都系の竹尺(享保尺)と大坂系の鉄尺(又四郎尺)である。
鉄尺は竹尺の1.4倍であった。
鉄尺と竹尺を平均して伊能忠敬が作ったのが折衷尺である。
明治に入り、政府は折衷尺を公式の曲尺として採用し、メートル原器の33分の10の長さ(すなわち10/33メートル)と定めた。
通常、単に「尺」と言えば曲尺の尺を指す。
1958年制定の計量法で尺貫法は公式の単位としては廃止され、以降商取引などの使用が禁止されている。
中国においても、唐代以後は小尺は使われなくなり、大尺は清末まで次第に伸びて36cmほどになった。
1929年にメートルを基準として(1/3)メートル(約33.3cm)と定められた。
鯨尺
曲尺とは別に、用途別の尺も使われた。
着物の仕立てに使われた鯨尺(くじらじゃく)・呉服尺などである。
現在の鯨尺は曲尺で1尺2寸5分である。
呉服尺は1尺2寸であった。
鯨尺・呉服尺の起源についての定説は今のところない。
鯨尺は大宝律令以前から使われていた高麗尺(こまじゃく)に由来するとする説があるが、室町時代に作られたものだという説もある。
高麗尺は現在の曲尺で1.1736尺であり、鯨尺よりむしろ呉服尺の起源であるとする説もある。
明治政府は、曲尺の尺の他に鯨尺を布地の計量に限定した計量単位として認め、呉服尺などその他の尺を廃止した。
鯨尺の尺(鯨尺尺)は25/66メートル(約37.88cm)と定められた。
江戸時代初期の小噺に、奈良の大仏と土佐の鯨とが、どちらが大きいかで言い争いとなり、最後に「金(曲尺)より鯨(鯨尺)の方が二寸長い」というオチになるというものがある。
なお、「鯨尺」という名前は、仕立てに使う物さしをしなやかな鯨ひげで作ったことによる。
さまざまな尺
大宝律令の大尺
約35.6cm
高麗尺に由来。
土地の計量など。
大宝律令の小尺
約29.6cm(小尺一尺二寸=大尺一尺)
唐尺に由来。
平安時代以降はこれが一般的になる。
又四郎尺・鉄尺
約30.258cm
永正年間に京都の指物師又四郎が定めたとされ、大工が主に用いた。
享保尺・竹尺
約30.363cm
徳川吉宗が紀州熊野神社の古尺を写して天体観測に用いたとされる。
折衷尺
約30.304cm
伊能忠敬が測量のために又四郎尺と享保尺を平均して作ったもの。
明治度量衡取締条例における曲尺の根拠とされた。
鯨尺
約37.88cm(曲尺一尺二寸五分)
明治度量衡法で25/66mと定められた
主に呉服について用いられる。
六尺褌や三尺帯といったときは鯨尺の長さのことである。
またタオルなどの織物の場合、織機に使われる筬の鯨尺1寸(約3.787cm)あたりの本数によって密度が決められる。
呉服尺(呉服ざし)
約36.4cm(曲尺一尺二寸)
主に呉服について用いられた。
鯨尺の一種である。
一説には鯨尺を五分短くしたところから出たともいう。
曲尺(明治度量衡法)
約30.3cm(10/33mと定められる)
又四郎尺、享保尺、折衷尺などを勘案して明治期に定められた。
通常ただ「尺」といえば曲尺のことをいう。
他の尺貫法の単位との関連
1尺は以下の長さに等しい。
10寸
1/10丈
1/6間
地積の単位坪(歩)は6尺四方の面積である。
体積の単位升も尺を基準として定められている。