旅籠 (Hatago)
旅籠(はたご)とは、江戸時代、旅人を宿泊させ、食事を提供することを業とする家のことである。
旅籠屋(はたごや)の略。
旅籠という言葉はもともとは旅の時、馬の飼料を入れる籠(かご)のことであった。
それが、旅人の食糧等を入れる器、転じて宿屋で出される食事の意味になり、食事を提供する宿屋のことを旅籠屋、略して旅籠と呼ぶようになった。
江戸時代の街道には宿場ごとに多くの旅籠があって武士や一般庶民の泊まり客で賑わった。
次第に接客用の飯盛女を置く飯盛旅籠と、飯盛女を置かない平旅籠に別れていった。
しかし、明治時代になって旧街道が廃れ、鉄道網が発達してくると、徒歩や牛馬による交通が減少し、旅籠も廃業に追い込まれたり、駅前に移転するところが相次ぐようになった。
現在でも、旧宿場町の同じ場所で昔のままに旅館を営んでいるものは数えるほどしかない。
混雑時には相部屋が求められ、女性の旅客は難儀をしたとされる。
旅籠の宿泊代は概ね一泊200~300文(現在の貨幣価値で3000~5000円程度に相当)程度が一般的だった。
旅籠の分類
規模によるもの(宿場によって異なるがだいたい間口によって区分された)
大旅籠
中旅籠
小旅籠
業態によるもの(飯盛女の有無による区分)
平旅籠
- もっぱら宿泊を旨とする宿。
飯盛旅籠(食売旅籠ともいう)
- 飯盛女によるサービスがある遊興的な要素を持つ宿。
旅籠の食事
『1813年(文化10年)仙台下向日記』升屋平右衛門山片重芳著によって例示すると
中山道垂井宿、丸亀屋金子方、宿。
夕飯、(汁)干し大根 (平)竹の子、玉子とし (焼き物) 塩ほら
朝飯、(汁)豆腐 (平)わらひ、ふ、ふき、椎茸、焼豆腐 (焼き物)塩鰤
東海道新居宿、紀伊国屋弥左衛門方、宿。
夕飯、(汁)大根切干 (平)ほら、焼豆腐、ねんしん (皿)あさり貝、かんてん、酢醤油懸 (鉢)うなぎ
朝飯、(汁)きざみ大根 (平)八杯豆ふ (焼物)かれい (猪口)揚豆腐、角大こん
夕飯は、だいたい一汁一菜が標準であった。
現存し宿泊できる旅籠
以下の旅籠が昔の街道の宿場に現存し、営業を続けていて宿泊することができる。
東海道赤坂宿旅籠「大橋屋」 (愛知県豊川市)
中山道芦田宿旅籠「土屋」<金丸土屋旅館> (長野県北佐久郡立科町)
中山道奈良井宿旅籠「越後屋」 (長野県塩尻市)
中山道藪原宿旅籠「米屋」 (長野県木曽郡木祖村)
中山道妻籠宿旅籠「松代屋」 (長野県木曽郡南木曽町)
中山道細久手宿旅籠「大黒屋」 (岐阜県瑞浪市)
中山道垂井宿旅籠「亀丸屋」 (岐阜県不破郡垂井町)
現存し公開されている旧旅籠
以下の旧旅籠が昔の街道の宿場に現存し、宿泊はできないが、一般公開されていて、見学することができる。
東海道岡部宿旧旅籠「柏屋」<かしばや> (静岡県藤枝市)---国登録有形文化財
東海道日坂宿旧旅籠「川坂屋」 (静岡県掛川市)
東海道日坂宿旧旅籠「萬屋」 (静岡県掛川市)
東海道新居宿旧旅籠「紀伊国屋」 (静岡県浜名郡新居町)
東海道二川宿旧旅籠「清明屋」 (愛知県豊橋市)---市指定有形文化財
東海道関宿旧旅籠「玉屋」 (三重県亀山市)
中山道鵜沼宿旧旅籠「絹屋」 (岐阜県各務原市 各務原市の施設「中山道鵜沼宿町屋館」)
旅籠の組合
江戸時代の中ごろになると、強引な客引きや飯盛り女を嫌ったり、一人旅をする行商人などから、安心して泊まれる宿が欲しい、という要望が増えたため、各地で旅籠による組合が出来た。
例えば、浪花組(後の浪花講)では、主要街道筋の真面目な優良旅籠を指定し、加盟宿には目印の看板をかけさせるとともに、組合に加入している旅人に所定の鑑札を渡して宿泊の際に提示させるようにした。
また、『浪花組道中記』・『浪花講定宿帳』を発行し、各宿駅ごとに講加盟の旅籠や休所の名を掲載するとともに、道中記としても役立つ道案内を兼ねた情報を掲載した。