武断派 (Budan-ha)
武断派(ぶだんは)とは、豊臣政権内部の派閥である。
概要
加藤清正・福島正則などを中心とした豊臣政権内部の2つの派閥の一つで、石田三成・小西行長などの「文治派(文吏派とも)」と対比して呼ばれる。
豊臣秀吉死後激化したこの二派の対立に五大老の一人である徳川家康が介入(武断派に支持された)。
さらに同じく五大老の一人で家康と並ぶ政権の重鎮であった前田利家の死により対立を止める者が居なくなり、関ヶ原の戦いの要因の一つとなった。
成立の背景
武断派の武将たちは、今まで数々の戦場(特に文禄・慶長の役)で、大きな戦功を立てたたものが多かった(これが武断派の名称の由来となった)が、その功績に比して政権の中枢で大きな地位を占めているとはいえなかった。
そのため戦場での功績は少なかったものの、五奉行の一人で文吏として政権中枢で権力を振るっていた石田三成らに対し、不満を持つようになったのである。