永世禄 (Eiseiroku)
永世禄(えいせいろく)とは、明治初期において王政復古 (日本)及び戊辰戦争に功績のあった者に恩賞として与えられた賞典禄の内、最も上位に属するもの。
家禄と同様に無期限に給付され、子孫への世襲が許された(もっとも後述のように、実際には7年間で廃されている)。
王政復古から戊辰戦争にかけて活躍した藩主・公卿・藩士などに給付された。
本人1代のみの終身禄や期限が定められていた年限禄、俸禄ではなく一時金のみ支給されたものに比べて、永続性を持つ面においてより上位の待遇と言えた。
永世禄は明治2年(1869年)に3次にわたって支給されている。
「戊辰戦争軍功賞典表」
-6月2日 (旧暦)(グレゴリオ暦7月10日)
戊辰戦争の功労者に与えられた。
島津氏(島津久光・島津忠義親子)と毛利氏(毛利敬親・毛利広封親子)にはそれぞれ10万石、藩士では西郷隆盛が2,000石を与えられた他、総計で101名と1部隊が対象とされた。
「函館戦争軍功賞典表」
-9月14日 (旧暦)(新暦10月18日)
箱館戦争の功労者に与えられた。
松前兼広(館藩)の2万石以下、総計で16名が対象とされた。
「復古功臣賞典表」
9月26日 (旧暦)(新暦10月30日)
上記2つに該当しない功労者に与えられた。
三条実美・岩倉具視にそれぞれ5,000石、大久保利通・木戸孝允にそれぞれ1,800石など、総計で20名が対象とされた。
これによって、維新の功労者に対して一定の生活保障と明治政府への引き続きの協力を要請するという意味も含まれていた。
だが、以上3つの総計が約80万石と大藩1つ分の禄高に相当し、財政基盤の弱い明治政府にとっては大きな財政負担となった。
このため、明治9年(1876年)の秩禄処分の際に、他の秩禄とともに金禄公債への整理・引換が行われ、永世禄はわずか7年間で廃止されたのである。