町小路 (Machi-koji Street)
町小路(まちこうじ)とは、中世日本京都の町衆の中心となった通りであり、そこには土倉が建ち並んでいた。
概要
町小路の前身は、平安京の町尻小路であり、江戸時代以降は、新町通となる。
地勢的には、鴨川 (淀川水系)が氾濫しても、その影響の及ばない高台に属し、当時の京都の一等地である。
そして、そこ並んでいたのは、商人の商家や職人の工房であり、それに対し、公家や武家は、より洪水の危険の及ぶ東洞院通以東に居を構えていた。
町衆の中の富裕層は、「有徳人」と称され、祇園会の際に国家に代わって山鉾巡行の費用を拠出し、「潤屋の賤民」と呼ばれた。
街路
平安京以来、現在も用いられる「東西通+南北通」(例:四条烏丸)という地点の表記の方法にならい、町小路が東西の通りと交差する地点は、「○○+町」と呼ばれた。
二条町
- 米商人が多く、1330年、後醍醐天皇が安価に米を拠出させた。
三条町
六角町
錦小路町
四条町
- 毘沙門堂(延暦寺末寺)の子院・常不動院あり。
五条町前後八町
- 高辻通・松原通・西洞院通・室町通に囲まれた地域。
当時の繁華街であり、延暦寺が地主。
七条町