目安箱 (Meyasubako (complaints box))
目安箱(めやすばこ)は施政の参考意見や社会事情の収集などを目的に、庶民の進言の投書を集めるために設置した箱、及びその制度の事である。
概要
制度自体は古くから存在し、室町時代には戦国大名北条氏康がこの制度を実施していた。
ただし、一般的に目安箱といえば江戸時代に徳川吉宗が設置したものを指すことが多い。
吉宗は1721年に江戸城辰ノ口の評定所前(現在の東京駅北口付近)に毎月2日、11日、21日の月3回設置し、回収した。
目安とは訴状のことであり、政治・経済から日常の問題まで、町人や農民などの要望や不満を人々に直訴させた。
幕臣の投書は当初許可されていたが間もなく禁止された。
投書は住所・氏名記入式で、それの無い訴状は破棄された。
箱には鍵が掛けられ将軍自ら検分した。
これにより、町医者の小川笙船が江戸の貧民の窮状を訴えて施療院を建てさせる進言をした。
吉宗が大岡忠相に検討させて小石川養生所の設置が実現した。
他、町火消が整備され、幕府が行っていた新田開発では、開発可能地の意見も参考にされた。
吉宗が紀州藩主時代に和歌山城一の橋御門前に設置した訴訟箱が目安箱に繋がったと言われる。
2008年、徳川記念財団の調査により徳川宗家文書から訴状留(側近が訴状内容をまとめたもの)が発見され貴重な資料として注目される。
現代における用法
現代において意見箱を目安箱と呼ぶことがある。
だが、目安箱は本質的に封建制度の下で将軍が設置したものである。
顧客を身分が下の者とみなして「意見を聞いてやる」という姿勢が、傲慢で不愉快だと指摘する声もある。