石包丁 (Ishi-bocho (a ground stone tools excavated from remains in the Jomon and Yayoi periods in Japan))

石包丁(いしぼうちょう、石庖丁)は、日本の縄文時代や弥生時代の遺跡から、(中国では仰韶文化、竜山文化)発掘される磨製石器。
主に稲作の伝播に従って、その初期に普及したと見られている。

概要
この磨製石器(表面を滑らかに他の石にこすり合わせて磨いて形を整えた石器の様式)は、長さ12-20cm・幅3-5cm程度の薄い板状で、ちょうど手のひらの中に収まるようなサイズとなっており、形は長方形または半月型の扁平な形状である。
片面を鈍い刃(→ナイフ)のようにし、側面に1つないし2つくらいの穴を開け、紐を通し脱落防止のために指に引っ掛けたり手の甲に巻きつけ固定して使えるようにしたものが、しばしば出土する。
なお一部には打製石器による石包丁も出土しており、必ずしも当時の文化伝播が一様ではなかったこともしのばれる。

包丁と名はついてはいるが、一般に魚や肉・野菜の調理に用いられた訳ではなく、米の収穫時にイネから稲穂の部分だけを切り取るために使ったものと考えられている。
これは過去に発見された石包丁の刃部分より、稲固有の残留物は見つかったものの、それ以外の当時食用にされていたと見られる動物や植物の残留物がみられなかったためである。

名の由来は明治時代の研究者らが北方ネイティブ・アメリカンの利用していた石の調理用ナイフに形状的に似ることからこう呼んだものが広まったもので、当初は調理器具と考えられていた模様。
石器としてはそう珍しいものでもなく、日本国内でも米作を含む農耕文化の発達で定住化が進んだ遺構の多くから出土している。

なお現在の包丁や鎌には、手を保護し作業効率をあげる上で柄が付けられているが、石包丁では柄が取り付けられることは無かった。
これは穂の部分だけをむしるように切り取っていたためだと考えられている。
現在の稲は栽培技術や品種改良によって、ほぼ同時期に実を付けるようになっているが、当時の稲はまだ沼地に自生に近い形で生えていたこともあり、また同じ場所・同じ時期でも稲によって実が取り入れ時期だったりまだ早かったりとバラ付きがあっため、取り入れに適した稲穂だけを選別して刈り取っていたのだろうと推察されている。

その後
石包丁は比較的何処にでもある材料から製作可能であったため、初期の稲作文化においては広く利用されたが、後に加工性に優れ丈夫で鋭い切れ味を持つ青銅器や鉄器の伝播にも伴い廃れていった。
ただ過渡期的には同時期隣接地域にて、ほぼ平行して石器と貴重で高価な青銅器などが併用されていた様子もうかがわれる。

なお同様の用途に用いられた木製農具(木製穂摘具)も発見されてはいるが、西宮市立郷土資料館の実験では石包丁のような形状の木製穂摘具の場合に、僅か数回の刈り入れで作業効率が低下することが示されている()。

[English Translation]