第1次山縣内閣 (First YAMAGATA Cabinet)
11月29日に大日本帝国憲法が施行されたため、この内閣の在任時に日本で議会制度(帝国議会)が開始された。
概要
条約改正交渉に失敗して倒れた黒田内閣の後を受けて成立した。
内閣職権を廃して内閣官制を導入、「大宰相主義」を否定して内閣総理大臣を「同輩中の首席」と位置づけた。
教育勅語の発布、第1回衆議院議員総選挙の実施(7月1日)、府県制・郡制の導入などを行った。
1890年(明治23年)11月25日に召集された第1議会において、山縣は自己の信条である「主権線の守護と利益線の防護」という観点から大幅な軍事予算増強を提案する。
これが、かつての自由民権運動の流れを汲む民党の反感を買って「民力休養・政費節減」を主張した。
閣僚ながら民党とも親交のある農商務大臣陸奥宗光の説得、買収によって立憲自由党の一部(土佐派)が予算案に賛同したために、最初の予算案は通過したものの、政費節減政策の実施を受け入れざるを得なかった。
議会終了後に議会運営に自信がないとして山縣は辞表を提出した。
在職期間
12月24日 - 5月6日
在職期間499日。
国務大臣
その他の人事